コラム「友情と尊敬」

第105回「追悼・長沼龍太」 藤島 大

先日、悲しくて、悲しくて、でも楽しくて、やはり悲しい会があった。そこにいる人のすべてが、写真の中の主人公を好きだったから、悲しくて楽しくて悲しい会になった。

故長沼龍太氏を「偲ぶ会」。國學院久我山高校、早稲田大学、サントリーのそれぞれのラグビー部の有志によって、3月1日、都内で開かれた。昨年末、54歳で逝去、近しい仲間にとっての愛すべき人格は忽然と世を去った。

この稿の筆者は、早稲田大学ラグビー部の2学年後輩にあたる。だから、よく知っている…と書きたいところだが、部内随一の選手と片隅のへっぽこ部員とでは、ヒエラルキー内の階層レベルがあまりにも違ったので、ほとんど遠くから眺めるばかりだった。

久我山高校時代に高校日本代表、1年の受験浪人を経て、早稲田へ進み、新人から、おもにナンバー8で活躍した。細く、長く、しなやかな体、足が速く、やせているのに敵モールのボールをひょいひょいと奪った。50m級のプレースキックで秩父宮をわかせ、あのころは地上波テレビで数多く視聴できたから、全国の高校生はあこがれた。甘くて鋭い顔立ちで女性ファンの視線を集めもした。

当時の早稲田のスクラムからの防御システムでは、フルバックなど相手エキストラマンが攻撃参加すると、ナンバー8が2線防御の浅い位置で横殴りのタックルを仕掛けて止めようとした。展開重視の軽量フォワードらしい考え方だ。長沼さんは、そのお手本だった。大きなストライドで軽々と追いつき、いきなり鉄杭の感触の猛タックルを決めた。よきジャンパーであり、ゲームの読みにもたけていた。

これは後輩のひいきではなく、ナンバー8の長沼龍太は、ずっと過小評価されてきたと思う。なぜか。きわめて戦力の厳しい時代の早稲田、創成期のサントリーに所属していたからだ。

人生には、どうしても、めぐり合わせがある。自分の意志で道を切り開いても、その先には必ず「たまたま」が待ち受けている。長沼さんの大学1年時の早明戦のメンバー表を確かめると、前年度の大学日本一の中核が学窓を去り、福岡城南、早実、秋川、大里、宇都宮、東淀川、早大学院といった全国的に強豪といえぬ高校の出身者が並んでいる。当時の明治には高校代表級が集い、戦力の比較ではいかにも苦しい。4年時には同級生のレギュラーは3人のみ、山梨県立吉田高校出身の奥脇教主将とともに後輩ばかりのチームを必死に牽引していた。

長沼さんが卒業の翌年度、大西鐵之祐さんがやってきて、計画性と勝負勘を両立させ、明治を破り、関東大学対抗戦を全勝で制した。世間の注目も大いに集中した。もし、1年早く、あるいは1年遅く入学していたら、優勝との縁があった。長沼さんの大学生活は、楽でない布陣ながら、多くの仲間が楽でない練習に手を抜かず、懸命に誇りを守ろうとした。クラブの真価は負け方でわかる。のちの栄冠の礎のひとつで間違いない。ただ、長沼さんのような才能に満ちた選手にしたら、やはり負担が重い。あれもこれもこなさなくてはチームが成り立たない。だから外から眺めるとプレーが地味に映った。

サントリーでも、新しいチームとしてしだいに中央へ躍り出る、そのひとつ前、最初の基盤をつくる段階のメンバーだった。目利きのセレクターがいたら「日本的ナンバー8」として代表に抜擢したかもしれなかったが、ちょうど時代はパワー偏重に傾いていた。

以上、ずっと畏敬を抱いていた立場からの純粋なラグビー選手としての評価である。もとより家庭人として、また職業人としての幸福とは異なる観点だ。ただ、もっともっと語られるにふさわしいナンバー8がいた、とだけは書き残しておきたかった。

斗酒を辞さず、おのれを売り込むところ皆無、わざと不器用に生きようとした気配もなくはない。クラシックなラグビー人だった。でも「選手・長沼龍太」は、早過ぎるモダンだ。時代の先を走るあまり脚光が追いつかなかった。

個人的な思い出がひとつ。筆者が大学の4軍、5軍のころ、ある関東の中堅校との練習試合があった。そのクラブは当時のサーフィン流行の影響で、それらしいファッションぞろいで東伏見へ現れた。部員の乗る黄色い自動車が滑り込んだ音が耳の奥に残る。我が早稲田の底辺チームときたら連日の猛練習でジャングルの残存兵といったありさまだった。

キックオフ直前、寡黙な長沼さんが自分は不動の1軍だから当事者ではないのにふいに近寄ってきて、ぶっきらぼうに言った。

「おい。あいつらはサーファーだ。お前たちはラガーだ。絶対に負けるな」

あれから何十年も過ぎて、勝負の結果を思い出せないのに、あの声が忘れられない。優しくて威厳のある人だった。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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