コラム「友情と尊敬」

第56回「子供はどこまで?」 藤島 大

勝利至上主義はけしからん。日本のスポーツ批判において、よく耳にする言い回しだ。たいがいは思慮が浅い。

スポーツのあり方は「する側」が選択できる。あくまでも峻厳に勝利を求める領域はあってよい。むしろ、それが醍醐味だ。スポーツの本質とは「真剣勝負」でもある。負けてもいいのさ。最初から、そんな心構えでは、そもそも楽しむこともできない。

1980年代、菅平高原で、キリスト教系大学のテニス同好会の練習を眺めた経験がある。実に、学年を基準とした上下関係がはっきりしていた。4年生が万事に厚遇されている。根本が「真剣勝負」にないから、選手の実力による自然な階層はぼやけて、むしろ年功序列でしか「集団」の秩序が成立しない。そんな印象を持った。近隣の大学ラグビー部の合宿風景には、ただ実力のみを軸とした正統な「弱肉強食」の世界があって、そこには先輩・後輩の入り込む隙間はむしろない。その「ミモフタモナイ」感じは、かえって心地よかった。

もちろん勝負に青春を焦がす同好会の存在も知っている。昨年、大学のいわゆるラグビー同好会のリーグ戦を見る機会があったが、しっかり練られた戦術、バックスの効果的な攻撃のレベルの高さに驚かされた。劇的な試合の連続。感動の余韻は土のグラウンドに漂っていた。それこそ体育会にカテゴライズされても、言葉の本当の意味で真剣勝負に徹していないところはある。あり過ぎる。

問題は、あえて、この言葉を用いるなら「勝利至上主義」に徹するには、実は、勝利至上ではない文化を前提としなくてはならない、その難しさにある。

選手を使い捨て、あるいは代替可能な労働力のように扱っては、スポーツ以前、人間の尊厳の否定である。指導者は、ひとりずつの人格を尊重し、くる者は原則的に拒まず、当然、去る者を無理には追わず、そこにある個性を愛して、見返りを欲せぬ情熱を注ぐ。個人の成長をとことん援助する。きれい事のようだけれど、真剣勝負から逃げず、あえて勝利至上と宣するならば、それくらいの覚悟がないと困る。

スポーツの現場で、勝利至上主義に遭遇できる例などまれだ。たいがいはニセモノの勝利至上に過ぎない。ただ怒鳴り、ただ強制して、へたすれば殴ったり蹴ったりする。くだらない情実と底の浅い好き嫌いと進路をめぐる「癒着」は横行する。選手を優勝させたいのでなく、自分が優勝監督になりたい。そんな思考では、よほどよい素質の選手をかかえ、最高の環境が与えられなかったら、ただ負ける。勝利至上の反対である。

青春の一時期、ラグビーならラグビーに極度に傾倒する。よきコーチングがそこに機能していれば、あってもよい。たとえば「文武両道」にしたって、完全に同時期に重ならなくても、人間に対する想像力(=教養)をグラウンドとその周辺で身につけていれば、あとで追いつける。繰り返すが、はじめから、あくなき勝利追求をあきらめたら、身体的素質の劣る側は永遠に勝てない。そこで終わりである。

と書いてきて、本稿筆者には、まだ解決できぬ分野がある。さて子供はどうなのか。

先日、小学生のラグビーの練習風景を見ていたら、高学年のチームが猛然とラックのオーバーを繰り返している。正直、「小学生にオーバーが必要なのだろうか」と思った。高校から始めてもオーバーはできる。それより抜いたり、つないだりする感覚を磨いたほうが…と。

しかし、現場を手伝う旧知のコーチに聞くと、熟慮の末の選択らしい。

「どうしても対外試合をすると、ここを鍛えておかないと負けてしまう。ともかく勝たせてみよう…と。楽しむ感動もあるが、勝利で得られる感動もあるだろうと」

それもわかる。勝つ感動、頂上体験は、きっと子供を成長させる。型にはめるマイナスを凌駕する可能性は絶対にある。でも…。

理想論なら語れる。練習のプログラムは、少年少女期のみに身につけられる分野を軸に練り上げる。抜くこと。助けること(サポート)。空間を認識すること。ボールと友人になること。そのうえで、練習に臨む態度、時間厳守などの原則はあえて厳格にする。いざ試合になれば「絶対に勝とう」と燃えに燃えて、負けたら悔しくて泣くような高揚に導く。

しかし現実は、そう簡単には運ばない。やはり勝つような練習をするから、試合の密度も増して、感情のレベルは高くなる。悔しい。うれしい。そうした心の動きは大きくなる。スポーツとはそういうものなのである。

個人的経験から、高校生は妥協を排した勝利追求こそが青春を深くすると断言できる。
では中学は? まして小学生は? 本当に分からない。ただ、心根が自由で、「他者とは違う個性」に理解のあるオトナの指導者にのみ「勝利至上」は許される。そこは確かな気がする。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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