コラム「友情と尊敬」

第104回「浩平・基植・皓太」 藤島 大

大学ラグビーのわが最優秀選手は、松永浩平である。堂々の4連覇、帝京大学の背番号7。以前は、大型チームにアクセント(異質の飾り)をもたらす鋭利なタックルの印象も強かったが、今季、再三の独走で、アクセントどころか中枢を担った。広島工業高校出身というのが渋い。初心者をあきらめずに鍛え、タックルを仕込み、筋力をひたひたと培う。このところは他府県からの経験者の集う尾道高校の後塵を拝してはいるが、名指導者、石井保明監督がかつて築いた「県工イズム」は、いまも真紅のジャージィに生きていた。

やはり帝京のセンター荒井基植もよかった。判断の的確さと度胸のよさが完璧な配合で両立している。筑波大学とのファイナルでは、何度も抜き、つなぎ、当たり、倒し、すべてに際立っていた。

松永は、177cm、86kg。荒井は、171cm、77kg。 サイズにことに恵まれているわけではなく、高校時代の有名選手でもない。他校は「帝京の潤沢な環境と外国人留学生を含む厚い選手層」という要素にのみ敗因を求めただけでは、総括をあやまる。この両者のような存在が実際に力を伸ばし、競争を勝ち抜き、大試合で臆するところなく仕事をしてのける。この具体的な事実に「帝京の時代」の実相の多くはある。

帝京は、現行のルール、近年の高校生の気質などを考慮し、失敗と成功を経ながら、ついにいまのスタイルの基盤を築いた。セットプレー、ブレイクダウン、ディフェンス組織をしっかり整え、攻撃は簡潔に組み立てられ、細かな判断や難しいスキルの範囲を小さくして、大きな幹で戦えるようにする。学生レベルでは際立った体格も決して「万能」なわけではない。あれだけ分厚いくて重いのだから、仮に、高速展開型のラグビーをしたらフィットネスとの折り合いはつかない。つまり自分たちのスタイル、帝京のラグビーを遂行するために最もふさわしい身体をつくり上げている。だから時間との戦いに連勝できるのだ。「試合でめったに起こらない事態のために完璧な技術を追求する」無駄はそこにない。

食餌や休養などをしっかり管理、大学当局との連携で、理想の練習時間と空間を確保する。帝京、それに限りなくファイナリストに近かった東海大学はその方針で戦績を伸ばした。かたや筑波はアパート暮らしの自主性にむしろ誇りを抱く。その中間のような各校が途中で消えたのはどこか象徴的だ。

もうひとつ今季の大学で、考えさせられたのは、関西リーグの充実とそれにもかわらず関東勢とぶつかると簡単にはね返される事実だ。関西で同格が戦うと、数シーズン前までとはまるで異なり、レベルは数段上がっている。多くのチームで攻防ともコーチングはよくなされており好勝負も続いた。しかし、そんな「きれいな正しさ」がむしろ、格上との対戦では、ひ弱に映る。どうせトライをされるのなら、同格なら理にかなった方法を捨て、もっと大胆に前へ出て、言葉は悪いが「ぶっ刺さる」ほうが勝機はあるのでは。そうも思うのだ。「一般的に正しいラグビー」を志向するがゆえのもどかしさ。ジレンマだ。関西の実力校が、ここから殻を破るために熟慮すべきは「最終ターゲットをどこにすえるか」であろう。

関西リーグのわが心の選手は、摂南大学の森山皓太だ。京都の東山高校から入学の新入生。185cm、90kg。数字より細身に感じられるが、その発展途上の体格は、いかになる試合のどんな状況でも、ひたむきさをたたえている。タックル。しばらく痛みに倒れる。起きて、またタックル。「オールアウト、出し切り、逆さにして一滴も垂れず」。そんな表現がピタリとくる。東芝の大野均の大学1年生のころはこんな様子だったのではあるまいか。いちど気になって公式戦前のウォームアップの姿を追ったら、この若者は、本当にひとりだけ大学選手権決勝の前のような表情で律儀にダッシュを繰り返していた。Bリーグ降格となったが、どうか這い上がってきてもらいたい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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