コラム「友情と尊敬」

第38回「東芝府中B」 藤島 大

雨の東芝府中グラウンドにいいものを見た。
王者の魂ってやつを。

10月10日、東芝府中ブレイブルーパスBと早稲田大学の試合が行われた。
夕刻からボクシング世界戦の取材があるので迷ったけれど、試合途中で去るのを覚悟で出かけた。
「小さくて軽い大学生」が「大きくて重いトップリーグの1軍半(というような陣容だった)クラス」にどう立ち向かうか。しかもシーズン序盤、学生としてはチームづくりの途上でいかに戦うのかに興味があった。

67-17。東芝府中の快勝だった。早稲田としたら前半の前半、東芝がそれなりに動揺した時間帯に得点をたたみかけられなかったのが大敗を招いた。

足を運んでよかった。東芝府中がなぜ強いのかの一端を知ることができたからだ。

まず試合にのぞむ姿勢がよい。いわば「練習試合」なのに、しっかり気持ちをつくって、クラブハウスから飛び出してきた。「学生相手だから…」といった気の緩みは見当たらない。

さらに試合が始まると、地面にこぼれた球のカバーと確保、いわゆる「セービング」でことごとく学生をはねのけた。大男が素早く身を挺するのである。本来、こういう分野で競り勝たなくては勝機の薄い早稲田の選手のほうにほんの少しためらいがあった。

前半は学生の踏ん張りに7点差リードで終わるも、後半、トライをかさねる。そのたびにキャプテンを務めたルアタンギ・バツベイが「ここから。ここからだよ」と大声で気を引き締める。あの突進男、ジャパンではどこか甘さの気配も残した巨漢が、堂々たるチームのリーダーとして仲間の心のスキを戒めている。

現象だけで本質を言い当てようとしては失礼だ。ただ、この午後に限っては、早稲田大学よりも東芝府中のほうが「ひたむき」ですらあった。むしろ早稲田は、気迫と集中力で押されているのにFWのセット・接点・モールで通用しているのが地力を示していたのかもしれなかった。

東芝府中は、前日、リコーとの公式戦に体を張った主力が「ウォーターボーイ」のような仕事をこなしていた。ジャパンのFB立川剛士も水のボトルを抱えて片ヒザを芝につくようにタッチラインの外で待機する。「3本続けてトライとろう」。仲間に声をかける姿は、なんと表現するのか、とても純情な感じがした。
本来の主将、冨岡鉄平以下、プロップの高橋寛、笠井健志らが居並ぶ眺めは「この世でいちばん優しいギャングども」という感じだ。雰囲気がある。途中で去る気にはならなかった。

東芝府中は強い。ただしトップリーグとなると、どうしても強力なモールでトライをたたみかける。見事なモール。でも「またか」は、熱烈な東芝府中ファンを除けば、おおむね共通する感覚でもある。「パワー頼み」の印象はどうしてもつきまとう。

東芝府中は強いのだから、ジャパンもその指導に沿って、同じ路線を進むべきだ。
東芝府中はパワーとサイズに頼っているだけだ。いいラグビーではない。

どちらも間違いだ。

ジャパンは東芝府中のスタイル、戦略思考をマネはできない。すべきでもない。
しかし東芝府中は、ただ力があるから、体が大きいから勝っているのでもない。早稲田戦に象徴される「ラグビーへの真摯な取り組み」こそ根底にある。FWで崩してバックスで仕留める。言葉にするとそれまでのような「簡潔なイメージ」を貫けるだけの努力をかさねている。また、簡潔で強固なイメージがあるから、その枠の中で、それぞれの選手がよく考えながら試合をしている。スタイルよりも先に「いいチーム」なのである。

ある東芝府中出身者が言っていた。「勝てない時、迷っている時でも、必死に練習する文化だけはありました」。そこが本質なのである。

本コラムの筆者は、かつて都立高校のコーチに没頭した。記者として世界のチームの練習を観察してはメモをとっていた。80年代終盤から、豪州クインズランド州やフランスの指導者のコーチング・マニュアルを入手して練習を組み立てた。早稲田大学のノウハウも懸命に聞き出しては整理した。我々は、オールブラックスと同じウォームアップをこの国で最も早く始めたチームのひとつだったと思う。

でも、同じ都立高校で、選手の体格もどっこいどっこいで、ほとんどラグビーの選手経験のない先生の教え導くチームに練習試合でよく苦しめられた。恵まれた私立高校にあと一歩で勝てない経験はたくさんしたが、こういうことはまれだった。どう考えても、こちらのほうが理論を知っていて、たくさん練習も積んでいた。しかし、その先生には、選手への愛情があり、深いところの指導力があった。まじめで、ひたむきで、チームワークのとれた集団を、異動で学校は変わっても時間をかけて必ずつくった。部員の視線が澄んでいた。

やはりラグビーの根源は、そうした領域にあるのだ。もちろん日本一となるにはバツベイの問答無用の突進も必要かもしれない。しかし「いいチーム」であろうとする意思と実践が、いつしか習慣となれば、そこにいる個人の成長は必ずもたらされる。

もういっぺん書きます。東芝府中Bの「セービング」は見事だった。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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