コラム「友情と尊敬」

第21回「未来を語れ」 藤島 大

イングランドや東芝府中や関東学院大学にだけ「うまい」があるわけではない。いかなるレベルにも名手はいる。本稿を書かせてもらっているスポーツライターは、職業柄、世界の一流プレーにも接するけれど、それでも「私の名選手」は揺るがない。都立秋川高校スタンドオフ、ツザキ先輩、あなたはジョニー・ウィルキンソンよりも上手でした。

余談だが、自宅近くに不思議な酒場がある。街の噂では「主人の腕は最高」なのに、なんとなくすいている。某夜、勇気をふるって戸を滑らせた。老境にさしかかった男がひとりカウンターの端に腰掛けていた。主人である。モツ焼きを頼んだ。冷蔵庫の奥の奥で何重ものラップにくるまれた内臓を丹念にさばき串を通す。「一本百円」。おかしいくらいうまかった。小柄な主人はとても寡黙である。絶対に照れ屋。しかし、なんべんか通って、知人とラグビー談義していたら、ふいにカウンターの向こうから小さな声が聞こえた。
「私もラグビーを」
花園にも出場している日本海側の都市の工業高校が母校だった。卒業後、千葉県の企業に就職、自分以外は素人のチームを率いて県の一部リーグへ引き上げた。
「まあ、それが…自慢ですね」
冷酒も芋焼酎もレバー串も、とても、とても、結構な夜だった。

あの主人も絶対にラグビーがうまかった。つまり、あなたもラグビーがうまかった。
そして「うまい」とは、結局のところ、個人的な世界における個人的な体験なのである。逆から考えれば、ワールドカップ優勝チームにだって「へた」とからかわれる選手はいたりもする。

そこでコーチングである。最初からそのことについて書こうと思っていたのだが、なぜかモツ焼きの夜に頭がとらわれてしまった。春は指導開始の季節でもある。ささやかな経験から、少々、おせっかいさせてもらう。

すなわち「私はうまかった」は、追憶で、酒場の談義で、まったく麗しい事実なのだが、現実のグラウンドにあっては、さしたる意味を持たない。
コーチングにおいて「経験則」の役はきわめて限定されている。競泳や陸上競技では、いつかの男性の日本記録を、いま女性が凌駕しうる。俺は100㍍を11台秒で走った。しかし、いまここにいる若者は10秒台で走る。そのとき「過去」は、もっと断じてしまえば「現在」すらも、素敵な勝利とはそのまま結びつかない。問われるのは、若者を9秒台で走らせる「未来」である。

誰であれ、自分が自分の工夫と努力で獲得した技術には自信がある。だからコーチを引き受けると、どうしても、そのことを教えたくなる。ひとりグラウンドに残り、身につけたキックやステップ、我が身を活躍させた技術、そりゃあ愛しいさ。もちろん、そうした技術を伝授する「アドバイザー」の仕事なら務まる。それはそれで貴重な存在だ。しかしチームを強くする。若者の可能性を最大限に引き出す。その時、過去は過去にとどまる。

コーチングとは学習である。「現在」を学び(ここをできるコーチは少なくない)「過去」に対する想像力を働かせて(いささか絞られる)「未来」を創造する(極めて少数となる)。まさに指導の醍醐味である。
そう。コーチングとは未来なのだ。「自分のできなかったことをできるようにする」。それで正しいのである。

体が小さいから開発されたスクラムのダイレクトアウト(フッキング)の技術があるとする。時を経て、大型で強靭な肉体を有するFWが集った。もう、せわしないフッキングは必要はない。そうではあるまい。
「過去」=素早い球出し。現在=安定したスクラム。未来=押せてなお速攻を仕掛けうる多様性=強力スクラムとダイレクトアウトの融合。こういうチーム、こうしたコーチングは強い。

別の夜。モツを焼く男は、豆や牛頬肉を秘密のハーブを効かせた味噌と一緒に煮込んでいる。どうやら新しいメニューの開発のようである。すっと味見をして「まだ、もう少しですね」。ああ、名人とは、いつだって学び、未来を創造するのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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