コラム「友情と尊敬」

第67回「最後のピースにあらず」 藤島 大

70歳をとうに過ぎた老ラグビー人のつぶやきを聞いた。

「2019年には俺たちはおらんぞ」

ワールドカップ招致に怪しい影が落ちた。IRBの特別理事会において「2015年・2019年のワールドカップ開催国を来年の7月に同時決定すること」が発表された。2015年にはイングランドが手を挙げるのだから、日本はその次に回りなさい、と暗黙のうちに迫られているような気にさせられる。そもそも、この案の決まる前から日本協会の一部には「イングランドと競り合っても勝機は薄い。次は降りて勝ち馬に乗り、その次を確実にとる」という意見はあった。

最新のニュースでは、イタリアも両大会招致に立候補するらしい。オーストラリアも19年大会開催を狙っている。いずれにせよ日本協会の戦略構築および実践の能力は問われる。どうか、国内のヒエラルキーを飛び越えて、適材適所、ベスト&ブライテストの布陣で勝負に臨んでいただきたい。日本ラグビー界の老いたる功労者たちが自国開催のワールドカップを楽しめますように。

さて、招致活動と無縁ではないジャパンの強化はどうだろうか。パシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)の1勝4敗の5位という成績と内容をどう見るか。

ホームでトンガに勝ち、フィジーに惜敗、オーストラリアAには完敗を喫する。敵地では、ニュージーランド・マオリに前半だけは拮抗できて、サモアに6点差で敗れた。

サモアとの最終戦が、ジャパンの現在地を示している。敵地で、例年のこの時期よりはメンバーを揃えた実力国に大崩れしない。まともにぶつかってくれる分には、フィジカル・コンタクトのところでも対抗できる。セットプレーの精度でも上回れた。ただし…。

このことはラグビーマガジンの最新号に少し書いたので重複は避けたいが、日本国籍取得のホラニ・龍コリニアシを数えなくても、トンプソン、マキリ、アレジ、ニコラス、ロアマヌ、ロビンスと、いわゆる「外国人選手」が6人並び、ロアマヌを除けば明確に攻守両面の中心であった。PNCを通して、ことにアタック、それもトライを奪えた場面では、もっぱらカタカナ表記の実力者の活躍が目立った。

もうひとつ。準備期間が他国よりも長かった。4月1日から本格活動を開始、韓国、香港などとの対戦を経て、クラシック・オールブラックスと戦い、PNCを迎えられた。何も悪いことはない。まったく正統なる準備だ。ただ相手との比較で有利であったのも確かである。

サモアは、7月5日のジャパン戦の前までに約4週間強の練習・公式戦の期間を消化した。監督は地元紙に「ようやくコンビネーションはとれてきた」とコメントしていた。他のチームもセレクションを終えると、だいたいPNC初戦の1週間弱前(マオリ代表なら4日間の練習)からチームとして動き始めている。

なにもジャパンの健闘にケチをつけるわけでない。ただ、次のワールドカップで世界を驚かせるためには、ここは、どうしても冷静におさえておかなくてはならない。事実として、メンバーの半数近くはニュージーランダーを軸とする「外国人」であり、数倍の活動期間があって、この成績だった。もちろん、だらしのないジャパンなら同じ条件でも、よりひどい結果だろうから、進歩を疑うわけではない。

ジョン・カーワンHCは、段階を積み上げる方法を採用しているように思う。まずは試合中に回数の多いラックから。つぎはディフェンスのセット。そしてセットプレーというように。一般的には正しい。世界の常識でもあるだろう。PNCの平均からすると遜色のない外国人が主軸に定まっているので、積み上げた分をいたずらに無駄にするような試合中のパニックからも逃れられている。キック主体のコントロールされた試合運びは、もはやジャパンの標準に近づいた。

しかし、長くジャパンを追ってきた立場から、やや懐疑的になってしまうのは、本物の勝負、ワールドカップの修羅場で、しっかり準備をしてきた相手、たとえばウェールズやスコットランドくらいの仮想敵、もしくは、それより上のクラスとぶつかって、なおジャパンらしく番狂わせを演じたり、ワラビーズ級を向こうに感激の大善戦はできるのか…だ。到達像から逆算された「現在地」であるかについては、正直、確信が持てない。

もう15年くらい同じことばかり書いて気は引けるのだが、過去の教訓から「本物の日本らしさは一般的強化の最後のピースではありえぬ」と断言できる。最初から腹をくくって「ジャパンの独自性」を追求しなくては、またもや時間切れとなる。

日本の選手が普通にプレーしても、ある程度は日本らしくなる。でも、それでは足らない。まして半数近くを「外国人」が占めるのだから独自性の構築は簡単ではない。

ジャパンは力をつけている。国際的な評価もそうだ。そこはフェアにとらえなくてはならない。しかし、よほどの目利きでもなければ、海外での好評価の基準は「俺たちに似てきたじゃん」というあたりにある。ここを気をつけなくてはならない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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