コラム「友情と尊敬」

第150回「質素でもスタジアムに10万人」 藤島 大

東京五輪・パラリンビックについては「科学よ決めておくれ」という立場だった。いまもそうだ。疫学や医学が「ノー」ならノー。それでよい。

白状すると、取材で知った7人制ラグビーの女子と男子、それぞれの選手たちの「オリンピックにかける努力」の確かさを思って、できれば参加させてあげたいなあ、とつい人情に傾きかける。だから、経済でなく、感染症や公衆衛生学のエキスパートに「開催は危険」、あるいは「問題なし」と判断してもらおう。

という内容を3月に東京新聞(中日新聞)のコラムに書いた。残念ながら専門家の声はあいまいなまま吸い取られた。

同コラムのおしまいの文章を再録したい。

「大切なことがある。仮に開催されて無事に終える。そのとき『中止を訴えてきた人々』を批判してはならない。反対意見があって対策の練度も増すのだから。誘致に異を唱えたって、競技が始まれば記録や勝負に興奮してよいのだ」

五輪が始まり終わる。東京をはじめ全国の感染者はさほど増えなかったとする。反対派を指さして責めたら暗黒社会である。他方、パンデミックがひどく拡大した場合は政権、組織委員会、もちろんIOC(国際オリンピック委員会)やJOC(日本オリンピック委員会)の意思決定者の責任は問われる。こちらは「為政者」だからだ。

また同じ反対でも、一貫してノー、もともと賛成だが現況をかんがみてノーに分かれる。誘致からずっと反対だが、ことここにいたったら無観客開催が現実的、対策の遅れや中止の機を逃がした責任は閉幕後に追及という立場もあるだろう。

個人的には肥大化した五輪のありさまを好きではない。でも、いざ始まれば、そこにある競技には喜びを覚える。アスリートのハートを美しいと感じる。これも人情だ。

もう少し五輪の話を続ける。そのあとラグビーが登場します。

昨年の9月、同じ新聞のコラムで「五輪貴族」に触れた。

感染症拡大で開催への疑念はふくらみ、大会組織委員会とIOCは「運営の簡素化」で合意した。IOC関係者や各競技団体幹部らに対する「飲食サービスの抑制」がそこに含まれていた。

☆のたくさん並ぶホテルに滞在、特権的な交通規制で会場へ移動、いつでもどんなときでも熱の入った料理をいただける。国家元首級の待遇を「オリンピックファミリー」と呼ばれるスポーツ人は当然としてきた。

ノルウェーの『ベルデンスガング』という新聞の記事を紹介した。2014年、同国が冬季五輪招致活動から撤退した理由に「五輪貴族」があった。同紙の明かす要求はもはやグロテスクだ。

「国王と面会」「ホテルを特別に清掃。部屋には季節のフルーツと支配人の礼状」「24時間対応のルームサービスとランドリー」「ホテルのバーを深夜まで営業」「スタジアムでは常に最高クラスの食事と飲み物を。軽食やカナッペでは十分でない」。

選手でもない者が最高の待遇を享受する理由はよく考えたらわからない。しかし、ずっと続いてきた。

そこでラグビーだ。ラグビー界、ここはイメージをしぼって「日本のラグビー界」も、まさに「禍」を転じて、よりよい方向へ進まなくては、たくさんの友と「山沢、なんでジャパンに入らないんだ」とか「ジェイミー、やせたな」とか「具智元の髪型、どうよ」なんて、いつもの酒場で語り合えぬガマンも報われない。

結論。日本のラグビーはまっさきに「五輪の姿と逆」の地平をめざすべきだ。

より質素に。より謙虚に。より公正に。よりオープンに。ひとりずつの選手、ファンがより自由であるために。えらい人たちは高貴な精神を抱いた平民であれ。ジャパンや最上位リーグのクラブのみならず、あらゆる大学や高校や中学やスクールから「私物化」の「私」の字もなくなりますように。

きれいごとのようだが、きれいごとを冷笑すると人間は不幸になる。

現在進行中の五輪をめぐる事態によって、スポーツ界はあからさまな強欲はあきらめ、質素や公正の道へ大なり小なり近づいてくる。日本のラグビーは先陣を切るべきだ。そのことは新しいリーグ発足とは削り合わない。

先日、ジャパンは、スコットランド・エディンバラのマレー・フィールドでブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズと戦った。競技場について調べていたら「1975年のスコットランドーウェールズ戦で10万4000人の観衆」という記述があった。

当時はアマチュア競技。新聞記者や実況アナウンサーはいつでもどこでも選手に接触できて、試合が終わると観客は芝になだれ込んで選手の背中をぺたぺた叩いた。スポンサーは観客が身を乗り出すと字の隠れる看板にのみ存在していた。

あの時代にそれだけの人がスタジアムに詰めかけ、テレビ中継に一喜一憂した。芝の上のラグビーはおもしろかった。こんなに肥大化する前の五輪がそうであったように。アマチュアリズム崇高論とは違う。ただ一言。誰もいばらぬプロであれ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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