コラム「友情と尊敬」

第176回「わたしたちのレフェリー」 藤島 大

6月28日。ジャパンXVはマオリ・オールブラックスに負けた。20-53。白黒の天秤が傾いて、なお退屈ではなかった。レフェリーのカール・ディクソンさんのおかげである。

元イングランド代表のSH、ただしキャップはなし。このくらいのキャリアの人が、審判や指導者に転じて成功するのでは、というのは本稿筆者の仮説であるが、それはそれとして、なんとも観客にストレスのない笛であった。

ちゃんと見ている。でも、むやみに笛を唇に寄せない。影響の有無を考慮、試合そのものを崩さぬように気を配る。選手、さらには観客を信頼しているのが伝わる。きっと自信があるのだ。

J SPORTSの実況解説席にいた。ハーフタイムの広告の時間に隣の沢木敬介さんにそっと聞いた。「レフェリーが見事。違いますか?」
横浜キヤノンイーグルスの前監督は、レフェリングの分析や対応のエキスパートで知られる。その人が、うれしくも同意してくれた。

スクラムのギャップ、ラックの退転などのわずかな正否については総じて流す。されど大事にいたらぬように意思の疎通を上手に図る。

ペナルティーの数はジャパンXVが「5(前半は2)」でマオリ・オールブラックスは「9(前半は5)」。フリーキックはともに「1」である。なんとも、ほどがよく、攻防の実相に照らして違和感はない。

さて、コラムの常道としては、それに引き換え、国内の一部のレフェリングときたら、という流れとなりがちだ。「スクラムのギャップ遵守」への過剰なこだわり、あるいは、ユーモアを擬しての「しゃべり過ぎ=かえって混乱」は気になる。解説で、ちょっと険のある言葉づかいになって反省する。

自戒せよ。そして結論。レフェリーは、万が一、もしも、珍しいことに、ゲームをうまくコントロールできなくたって、尊敬されなくてはならない。

ここまでとここから、過去に触れた主題を書くと決めたのは、ニュージーランド発の以下のニュースに触れたからだ。

「レフェリーへのアタックで36試合の出場停止」(タラナキ・デイリー・ニュース)

6月21日。タラナキのトップのクラブ公式戦、サザン対ニュープリマス・オールド・ボーイズにおいて、前者の某選手が、審判の背中に肩でぶち当たり、なぎ倒し、そのまま前へ走った。
 瞬間の映像では意図的かわからない。速度をゆるめるくらいはできた、とは素直に思う。感情の制御は少なくともなかった。

タラナキ協会は9日後に前掲の処分(報道では同公式戦3年分に相当)を科した。人名は伏せられている。なぜなら当事者は「17歳」だからだ。

ここで思考は乱れる。そんな年齢で出場を果たす有望な少年に「レフェリーを敬う態度」が欠けたとするなら、もっと長く生きてきたラグビー人のせいだ。

もちろん個別の出来事をダイレクトに一般化するのは乱暴だろう。ただニュージーランドのホロフェヌアでは同じ時期にこんなことも起きている。

「6月21日のカレッジ(高校に相当)の試合で、レフェリーが深刻な暴言と身体的脅迫を受けた」「試合中、遠征チームの複数からレフリーへの罵声があり、終了後、安全確保のため、一般の観客が護衛するほどの事態に発展した」(RNZ)
地元のホロフェヌア・カピティ協会はその週末のすべての試合をキャンセルした。

ワールドカップを吹くようなトップ級へのおもにSNSでの「虐待」はとっくに問題とされてきた。ラグビー文化はぐらついている。

1996年のプロ解禁まで「レフェリーは絶対」は揺るがなかった。もちろんアマチュアだって負ければ悔しい。されど、根源的には「みずから選んだ自発的な楽しみ」の内側の敗北であり、仮に、無報酬であるところのレフェリーのしくじりが歓喜と絶望を隔てても、ゲームそのものの中の誤審にとどまる。
みんな「1ドルにもならないが好きでたまらぬラグビー」の仲間なのである。

しかしプロの世界は異なる。どうしても利害関係の規模はふくらむ。敗れて「お見事」と相手をたたえる前にステークホルダーへの弁解を始めたくなる。まして微妙な判定のPGで逆転されたら、批判の声をおさえられない。

ラグビーはラグビーなので露骨には染まらない。ざっと30年をかけて、じわじわと「敬う態度」はかすれ、とうとうニュージーランドの地方のティーンエイジャーに影響をおよぼした。

このコラムの第2回のタイトルは「リスペクト」である。2002年8月10日、南アフリカとニュージーランドのテストマッチで、スプリングボクスのレプリカをまとうピーター・ファンセイルという観客が、芝の上へ飛び出し、アイルランド人の主審に襲いかかった。判定への小児的反応である。

あのとき、オールブラックスのリッチー・マコウとボクスのAJ・フェンター、激しくぶつかり合う両雄がそろって暴漢を引きはがした。軽くパンチも繰り出したはずだ。「わたしたちのレフェリーになんてことを」。そこにリスペクトはあった。

いま同じように、ならず者が、たとえばカール・ディクソンさんを襲撃する。もちろん両チームの誰もがそっくり同じ行動をとる。ここは信じられる。

けれど。だが。何十年か先。ジャッジに不服な側のプレイヤーは「交替したほうが都合がよい」と、さりげなく黙認するかもしれない。そうなったらラグビーはおしまいだ。

17歳の愚行を許してあげたい。いっぺんの間違いでラグビーの道を断ってはならない。そのうえで「レフェリーへのアタック」を炭鉱のカナリア、異変にいち早く気づくサインとしよう。まずは地球のあらゆる場所の審判団ひとりひとりに感謝だ。      

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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