コラム「友情と尊敬」

第110回「しつこく」 藤島 大

しつこい。普通は嫌な言葉だろう。しつこい人は、よい人ではない。でも、しつこいコーチは、よいコーチだ。「しつこい」の語源説の末席のひとつに「尻腰」がある。「しっこし」。たまに落語で耳にする。「しっこしのねえ野郎だ」。意気地や根気を意味する。そう。コーチングとは意気地と根気なのだ。そして、よいコーチは、意気地を意気地と思わず、根気を根気と感じぬ性格を有している。

オールブラックスはしつこい。きっとコーチングもしつこいのだろう。2年前のワールドカップ、真っ黒なジャージィをまとった地元ニュージーランドの代表は、しきりにキックを用いる攻撃を磨き、そのための技術開発、攻防の整理に励んでいた。たまに報道陣に公開される練習では、しつこくキックを蹴り、追い、跳んで、つかんだ。先の来日、ジャパンとのテストマッチ前日の報道陣への一部公開、まったく同じように複数の選手が連携を保って、蹴り、追い、跳び、つかむ。特定の選手を対象とするハイパントのキャッチも入念に行われていた。

翌日、ジャパンは、オールブラックスのキックに翻弄された。試合後、日本代表の数人のバックス選手に「向こうはトライを狙う場面にキックをよく用いましたね」と聞いたら、当事者としては何よりも「オールブラックスの判断力の鋭さ」を感じていた。前が崩されそうなので、後方の守りが薄くなると、必ずそこめがけて蹴ってくる。その通りだ。ただ練習やここ数年の試合を注視すると、状況をつくりながらの決め事、ひとつのパターンのようにも映るのである。

いずれにせよオールブラックスの指導者たちが「現代ラグビーにおけるキックおよびキックからの攻防の重要性」に素早く着目、しつこく、しつこく、スキルの研磨と仕込みを繰り返していることは間違いない。

コーチは、毎日の練習でしつこくなければならない。過日、トップリーグのある現役選手に質問をした。流れの中で「次の次」に右に展開すると決まっていても、右にいるバックスは、いったんボールが左に動いたなら、まず、そちらへ近づき、そこから決め事の右方向のアタックに備えて、もういっぺん広がるべきではないか? ずっと同じ位置でボールを待つのは間違いでは? 答えはこうだった。「その通りです。でもトップリーグのチームでも、コーチが練習でしつこくそうさせないところは、すぐにできなくなる」

もうひとつコーチは、そこにいる選手ひとりずつの心のあり方にしつこくつきまとわなければならない。元東海大学監督の和泉武雄さんは、しつこい名コーチだ。70年代の早稲田大学黄金時代にフランカーを鍛えに鍛え、無名の若者を日本代表級へ育て上げた。

以下、筆者の個人的な思い出を書くことをお許し願いたい。また、このストーリーの概略は、いっぺん中日新聞・東京新聞のコラムにも触れている。

早稲田大学ラグビー部の1996年度の夏合宿の某日、フランカーの野村能久は一軍入りをかけて明日の部内マッチに備えていた。愛媛県・愛光学園出身の理工学部4年。サイズに恵まれず、鈍足、柔軟な筋肉の持ち主というわけでもない。ただ天然の生命力と根源的な聡明さを備えていた。努力をかさねて、ようやく公式戦出場は視野に入りつつあった。

ところが臨時コーチとして合宿に招かれていた和泉さんは、いきなり、野村におそるべき特訓を課した。これでもかと走らされ、転がされ、タフネスを誇る最上級生もついにふらふらと脚の力をなくした。

どうして野村に特訓を? 夜、やはりコーチとしてその場にいた筆者が聞くと、職人的指導者は言った。

「無名校出身の小柄な努力家がここまできた。みんなが応援したくなる。でも、このまま大きな試合、たとえば早明戦に出したら吹き飛ばされる。高校時代からの本物の才能には通じない。これで、あいつは明日の部内マッチで活躍できない。いっぺん下のチームへ落ちる。もういっぺん這い上がったら本物よ」

これぞ本当の個人教育なのである。和泉さんは、自分と同じようにラグビーの強くない学校から母校へやってきた同郷・愛媛の後輩がかわいかったはずだ。だから、一見、ひどいほどの試練を与えた。しつこく考え、しつこく関わり、そこにいる人間の内面にしつこく侵入した。

その秋、赤と黒のジャージィをまとった野村能久は、後年、テレビ朝日の報道記者となり、カイロ支局長時代の11年10月、無念にもリビアで命を落とした。享年37。ずっと、あの特訓の夕暮れを覚えていたはずだ。

コーチよ、しつこくあれ。しつこく愛して、しつこく鍛えよ。そして選手は愛情と情熱のコーチにしつこく、しつこく、くらいつけ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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