コラム「友情と尊敬」

第155回「劣等感のないスポーツ」~追悼・桑原寛樹~ 藤島 大

自由よ消えるな。その人の死を知り、そんな感情が胸の底に揺れた。自由なラグビー人がいなくなると困る。なぜならラグビーとは自由なのだから。

本年6月3日。桑原寛樹さんが雲上のグラウンドへ向かった。かつての中央大学くるみクラブ、現在のくるみクラブの創設者である。享年94。

本人は中央大学のいわゆる体育会のラグビー部出身、ポジションはSHで主将も務めた。しかし5年前、話を聞くと、卒業後の心境をこう振り返った。

「虚しいんですよ。自分が何をしてきたのかと」

愛媛は松山の農村医の家に生まれた。父の方針で「自由奔放」に育った。なのに、そのころの大学の運動部の雰囲気、それにキャプテンの使命感が自分を「鬼軍曹」にした。スポーツとは? ラグビーとは? 1953年、母校の体育講師になっても「苦しいまでの自己批判」を続けた。やがて社会学の泰斗、綿貫哲雄教授との縁を得て「英国の正統的な自由主義」を学び、民主主義の実現に欠かせぬ「自治の訓練」へ思索を伸ばした。

綿貫教授の著作に次の内容が記されていた。暴力や強権でなく、理性や良心や自尊心に訴えることで「自由の訓練」につなげる。後年、こんな出来事があった。桑原さんの自伝である『くるみ実る日』(中央大学出版部)に紹介されている。

昔の電車は禁煙とされても多くが無視した。桑原さんは西武線で煙を吐く学生を厳しく注意する。しかし無視された。学生服の襟のバッヂは有名大学のそれだった。「君はX大学生らしくないな」。そう言うと「はじかれたように慌てて煙草を消し始めた」。自尊心に訴えたのだ。「自治の根本は自覚」である。

請われてハンドボール部の監督に就くと、結果は出た。本田技研野球部のコーチとしても実績を残す。競技をまたぐ身体トレーニング理論を基礎に独自の方法を創造した。「移行トレーニング」は一例、バーベルを挙げたあとに砲丸投げをしたり、鉄棒の懸垂の直後、野球の投球に取り組んだりする。体育の授業のラグビーでは初心者を対象にどしどし実践した。充実を覚えた学生たちが望んで、くるみクラブの創設へ結ばれた。

2017年3月の取材時、くるみの学生チームの試合前のウォームアップをともに見た。現場を離れて長い桑原さんはもどかしそうだった。小さな声で言った。

「みんなが動いてないでしょう。一部の人間しかね。もっと全員がどんどん動き回るようにしないと」

そう。ポジションの別のないようなパスとランのスタイルで楽しそうに駆け回る。それこそが、くるみのラグビーだった。7人制大会でよく勝った。

もうひとつイズムの核心は「15人より5人と5人と5人」である。15人ですぐチームをつくるよりも、5人ずつの集団のリーダーを決めて、それぞれが15人集まるように活動する。「自分のチームという意識、愛着が違います」。自治の精神だ。「監督はそれぞれのキャプテンだけを掌握しておけばよい」。小さな社会がつながって大きな社会を形成すれば足腰の萎えぬ共同体ができる。

東京に寮を構えた。さらに現役学生のアルバイト、OBの寄付で資金を確保、1971年8月、宮城の蔵王にグラウンドやクラブハウスを建設する。土地の造成のみ業者が担い、あとは、棟梁の指示を仰いで、学生がみずから完成させている。

クラブのラグビーの先駆、エーコンの石黒孝次郎会長はグラウンド開きに招かれると「これで、くるみの樹を植えなさい」と1万円を差し出した。京都大学OBである同会長は、そして、つぶやく。「オックスフォードやケンブリッジ大学の学生がきたら、ここでラグビーをしたいと言うだろう」。毎日新聞は「不可能を可能にした」と称えた。

桑原さんの言葉でよく覚えているのが「ラグビーは劣等感のないスポーツ」。野球は打てないと「こわくなります」。サッカーも蹴り損ねたら「こわい」。でもラグビーは違う。

「ボールを持つ人間が中心にならない。初心者はミスする。上級者はカバーする。それがラグビーそのものでしょう」

あのとき89歳、ラグビーだけでないラグビーを考え抜いた人がラグビーを語った。

前出の自伝で好きな逸話がある。幼いころ、お医者さんの家は村では裕福だった。のちに医学の道へ進む兄たちは「ランドセルに半ズボン、革靴」という「華族のような格好」で通学していた。でも寛樹少年は違った。「わたくしは、頑として雑納カバン」と「長ズボンに草履で通学した」。いいぞ。声をかけたくなる。くるみクラブは、形式のエリートとは異なる山の道を拓いた。視線は低く、心の姿勢を高く保ちながら。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

過去のコラム