コラム「友情と尊敬」

第70回「素直に」 藤島 大

あわてるな。パニックになるな。ミスを連鎖させるな。
コーチとしては、そう選手に「百億万回」言い続けてきたのに、自分はあわてる。

先日もこんなことがあった。
11月16日、名古屋・瑞穂ラグビー場。ジャパンとイーグルスの試合後(内容・評価については第2戦が終わってからまとめたい。ともかく勝ってよかった)、若い学生風の男女数名に「写真、一緒に撮らせてください」と声をかけられた。正直、うれしい。でも照れくさい。取材者が選手のように写真に収まるのは筋違いというか申し訳ないような気もする。しかし繰り返すが、自分のことをそんなに嫌いでない人と出会うのはうれしいものだ。

通りかかったブレザー姿の関係者に、ひとりが「シヤッターを」と頼んでいる。もしかしたら知り合いなのだろうか。見るとレフェリーでよく知られた方だ。ここでパニックになる。こちらが話を聞かなくてはならないような人にシャッターを押してもらうのはよくない。照れる。また照れる。パニック!

恥ずかしくて申し訳ないので、写し終えると瞬時に大声で「ありがとうございます」と叫んでしまう。しかし、愛すべき彼、彼女らには「早く切り上げたいから大声で」と受け取られたかもしれなかった。たぶん、そうだ。あとで気づいて、また、いろいろ申し訳なくなる。仲間のノッコンの直後、もういっぺんノッコンする選手と一緒だ。

自分が、このようにあわてると、そこからレフェリーは大変だな…と連想したりする。つまり最初にボタンを掛け違って、甘かったり、厳し過ぎたりしたら、悪いほう、悪いほうへと事態は進む。荒れる試合、反対に、笛が多過ぎてゲームにならぬゲームの誕生である。

どうすれば粛々と笛を吹けるのか。心を解放することだ。一介のライターでも「写真を一緒に」と頼まれたら、気負うことなく、ありがたいなあと素直に考えればよかったのと同じである。

帰りの新幹線で、フランスの研究者の書いた『ラグビー』(ダニエル・ブティエ著 白水社・文庫クセジュ)を読み返すと興味深い一節があった。

以下、要旨。

「スローフォワードとはラグビーの独自性を表しているにも関わらず、基本的なルールではない。前へ投げても相手が受ければ流せばよく、前方で待ち構えている味方選手が受ければ、それはオフサイドの反則である。前へ投げても、後方からの味方が受けた場合は初心者の試合では反則を取るほどのことでもない。単にスキルが未熟なだけだからだ」

つまり「スローフォワード」そのものが問題なのではない。「影響」の有無だけが焦点なのである。あたりまえじゃないか、と思うのだが、現実のレフェリングではあたりまえでもない。

ラフプレー、ゲームの精神を否定するプレーは行為そのものが悪だ。しかし、そうではない反則まで「存在すなわち悪」と取り締まる傾向もなくもない。

たとえばラックでの倒れ込み。蹴られた球を、必死に戻って見事に再確保、あるいは自陣深くで走り勝ってターンオーバー成功、相手はほとんど反応できていない。それでも少し前へつんのめるとピー。たまに見る。あれはかわいそうだ。Pをもらった側も一瞬きょとんとしている。もちろんコンテストの妨げならPで当然である。意図的ならカード相当だ。場合によっては赤でも構わない。しかし、ほぼ相手の抵抗なしの状況で「気負い込んでの倒れ込み」は絶対悪ではない。

確かに、影響の有無を判断するのは簡単でないし、ちょっぴり勇気もいるだろう。一律厳罰のほうが楽だ。そこで「心の解放のススメ」である。おだやかに安らかに常識に従えばよい。

故・大西鐵之祐さんは「ノックオンとスローフォワードなんて22mラインの内側だけ取ればいいんだ」と話していた。いま振り返ると、あれは冗談でもなかった。レフェリーはそれくらいの気持ちでよい。

さて名古屋でのJスポーツの解説で、イーグルスのロック、ヘイデン・スミスが「たった6ヵ月のラグビー経験で(イングランド・プレミアシップの)サラセンズと契約」と話した。前夜、もう深夜3時ごろインターネットで見つけた複数の資料にそうあった。デンバーのメトロ・ステート大学時代はバスケットボールの奨学金を得ており、卒業後、幼少期にオーストラリアでプレーしたことのあるラグビーへ転じた。

デンバー・バーバリアンズのコーチが「我々の練習に初参加してから6ヵ月でサラセンズに加わったのは驚異だ」と証言している。プレーそのものを始めたのは、もう少し前かもしれないが、地域の代表的なクラブで正式なコーチングを受けてからは、その程度の時間でプレミアシップ入り。人間の可能性、ラグビーの幅の広さを感じさせてくれる事実だ。

考えてみれば、日本にも同じような例はある。日本IBМの小嶋信哉、長澤晃一の両ロックである。ふたりとも秋田県の能代工業から専修大学でバスケットボールの選手だった。卒業後にラグビーを始めてトップリーグへ。あらためて敬意を表したい。

※『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)が出ます。筆者がナンバー誌に書いたノンフィクション集です。自分の心に素直に告知します。表紙のHポール、よいです。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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