コラム「友情と尊敬」

第22回「複雑と簡潔について」 藤島 大

いつかカーウィン・ジェームス(史上最高のコーチのひとり=ウェールズ)もフレッド・アレン(ニュージーランドの名指導者)も同じことを言った。

「複雑」を「簡潔」に。

コーチングの真理である。複雑な現象を単純化させて解決へ導く。その能力こそは問われる。
ラグビーの知識と同等、いや、それ以上に言語・伝達の能力が求められるのも「複雑→簡潔」の過程を経るからである。うまく解きほぐすための言葉を持っていなくてはならない。
実績を残せぬ指導者には、おおむね「簡潔なはずの事象を複雑化する」傾向がつきまとう。また優れたコーチであるなら「複雑なことを複雑なまま理解できる」能力も欠いてはならない。いざとなれば論文を書いてみせるのである。

以下、明白に批判めくが、ある強豪高校指導者が専門誌に「ビジネス書」の一節をとうとうと引用しているのを目にするたび悲しい気持ちにさせられる。手垢にまみれた人生訓とオカルト的精神世界をまぶしたたぐいの言葉は、ただの「安易」だ。それこそ生きるってことが、そんなに簡単なものか。ラグビーのコーチングにおける「複雑→簡潔」とは別世界じゃないか。こちらは、身を削る分析のあとには、勝敗という確たる証明が待ち受けており、よほど戦力潤沢なチームを除けば、うわべの「成功法則」など役に立たない。(なお、ここでのビジネス書とは「ビジネスについての書籍」ではなく、ノウハウ的ないわゆる『ビジネス書』をさす)

そして自戒の念を忘れぬよう記せば、わがジャーナリズムの世界でも「わかりやすく」は絶対に偉い。もちろん、そこに危険は潜んでいる。陥りがちなのは、二分法と一喜一憂である。
「規律の反対が自由」と簡単に決めつけたり、たとえば選手交替の手際(=采配)だけを見て指導能力を判断してしまう。目もくらむ才能集団ならともかく、たいがいのチームでは「采配」と「強化の過程」とは、わかちがたく結びついている。あえて「この選手に託し続ける」といった場合もありうるのだ。弱い相手に力まかせで大勝しても称え、素材や環境の劣勢を縮めた敗北の価値を見逃がす。

Jスポーツでスーパー12やジャパンの解説をすると、つい口走ってしまう。
「低いタックルの威力を見直すべきですね」。本心だ。ただし、本当は、より精密な説明が必要なのだと思う。たとえば次のような。

最近のラグビーでは、2次、3次…と局面が重なるにつれ、攻撃側のアイデア・方針が、球を受けてから決まることが少なくない。「よっこらしょ」と立ち止まり、そこから、おもむろに走り出すイメージ。そういう攻撃に対して、国内外を問わず、ほとんどのチームは、面を崩さずに「内から外」へと流していく現在主流の防御パターンを採用している。そのパターンにあって、相手の攻撃開始を待ったのち、つまり、さして前へ出ずに受け止めながら、やみくもに低いタックルを仕掛けると、タックラーだけが死に体になってしまう。効果がないし損だ。それなら高く、みぞおちのあたりで球を殺したほうがいい。

では「低いタックル」は現代ラグビーでは無力なのか。違う。「激しい前へのプレス」と「最終局面では正面衝突を辞さない角度と覚悟」をともなっていれば有効なのである。ジャパンの立場では「高速正面衝突足刈りタックル」の研究を進めるべきだ。逆から考えれば、現代主流の防御法に対しては、局面を重ねたのちも、常にフルスピードでパスを受ける攻撃は効果的なはずである。南アフリカのチームなんて、そのパターンを磨くだけで勝てそうな気がする(個々の優秀なる加速力!)。いくら眼前に人数がひしめいても、しょせん「待ち」なのだ…。

テレビの解説でここまで語るのは難しい。かくして「低いタックルを見直せ」というフレイズだけが宙を走る。「言葉足らず」を悩む間もなく試合は進む。スペースと締切時間の限られた活字の試合リポートでも似たようなものだ。

すなわち複雑は簡潔にほぐされなくてはならず、しかし、そもそも簡潔とは複雑なのである。いけない。「複雑を簡潔に」を簡潔に説明するつもりが複雑になってしまった。ちなみに冒頭のカーウィン・ジェームスは「スクラムの複雑なメカニズムをロシアの文豪チェーホフの言葉を引きながら簡潔に説明できた」そうである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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