コラム「友情と尊敬」

第74回「同志を愛して孤独をおそれず」 藤島 大

もし入部を迷っているのなら、この言葉を届けたい。

「休日はあっという間に過ぎてしまう」

青春をあっという間だと感じるのは、青春を何年も過ぎてからでよい。「早く練習が終わらないかなー」。時間を長く感じられる青春こそが人生の幸福なのだ。

入部したての君には、こう伝えたい。

「君は君が思っているほどラグビーをうまくはできないが、君が思っているほどダメな人間でもない」

強くないチームの出身で、そこのエース格として鳴らしていたのに、強いチームへ進んだら、ちっとも通用しない。広く世界に共通の事態だ。つまり、あたりまえ。

反対に、強いチームの一員でうまくやってこられたのに、強くないチームへ進むと、周囲に相手を圧する力がないので、自分もうまくプレーできない。これもまた当然。

たとえば、高校時代、他校もうらやむ大型強力FWにあって、ひとり小柄ながら素早く動けて低いタックルも鋭いと評価された者が、選手層の厚くない大学では、まるで目立たなくなる。「強力FWの中のイブシ銀」という相対的評価の前提は崩れて「小型FWの中の平均」とされてしまう。劣勢の時間帯のほうが長いチームが勝つためには、そのくらいの素早さや低さでは足らなかったのである。

ストーリーはここから始まる。

人間は、なかなか、ひとりでは生きられない。そして、ラグビーは、絶対、ひとりではできない。新しい環境で出会った人間は、だから、運命的な同志なのである。「生涯の友」とまでは他者は決めつけられない。近くにいたら、かえって、しっくりいかぬのも、また人間らしさである。しかし、同志であるのは間違いない。

これまで滑らかに運んでいたすべてが滞る。世の中、上には上がいる。できたことができない。壁だ。ステキな壁。霊長類ヒト科とは未解決の難問を解決する動物である。そのために生きるのである。

ラグビー部のよさとは、その壁を現実に乗り越えた先人が必ず存在することである。いきなり荒野へ放り出されたように感じても、そこは無人ではない。孤独でもない。いくらか遠いところの道標に先輩の背中は見える。

あるいは、荒野の反対のぬるま湯(万事に甘いチーム)に浸かったとして、自分だけでなく、同志の力を携えて熱を呼ぶこともできる。簡単ではない。でも、できる。

ラグビー部員は孤独ではない。しかしラグビー部員は孤独をおそれてはならない。

同志愛、チームやクラブへの忠誠心を自明として、だからこそ孤独に価値はある。簡単に書くと、自分自身で、ひとりぼっちで、うまくならなくてはならない。

長くスポーツを追ってきて、ひとり、自分だけの方法で練習できる者こそ勝者となる。コーチの求めるシステムをこなすのはラグビーの半分にも満たない。システムを構成する個の強化が先決である。どのように強くなるのか。それを考え抜くのだ。それが知性だ。

ラグビーに打ち込む。すると「わかれば、わかるほど、わからないことも増える」とわかる。なんだ哲学じゃないか。さあ泥まみれの哲学者になるのだ。

※4月10日、筆者の新刊本、『キャンバスの匂い』(論創社)が出版されます。過去のボクシング関連コラムをまとめました。編集は、ふとしたきっかけで知り合った元桐朋高校SO。表紙の写真は国立高校元CTBが撮ってくれました。思い入れの一冊です。

藤島大氏の新刊本プレゼントの当選者

  • 千葉県   石坂 彰 様
  • 神奈川県  大木 太一 様
  • 大阪府   山森 勇志 様
  • 大阪府   鷲山 慶太 様
  • 京都府   深田 高史 様

キャンバスの匂い
『キャンバスの匂い』(論創社)の詳細はコチラから

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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