コラム「友情と尊敬」

第107回「ベンチも勝った」 藤島 大

ウェールズに勝った。絶対に偉い。テストマッチは勝利をレコードブックに刻印することに価値がある。豪州遠征中のブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズに15人の選手と監督、コーチを送り出し、さぞや暑さにもへばってくれただろうが、それとて勝負のうちなのだ。

もちろんジャパンの選手からも「トンガのほうが強かった」という本音は聞こえる。それでもウェールズに勝利すれば、繰り返すが、絶対に偉い。事実、「同国」のメディアには、さっそく往年の名選手からの批判が紹介されている。かつての名ウイング、J・Jウィリアムズ氏は「いささか傲慢な選手選考。経験のない選手を、暑くて、成長を遂げた国へ放り出すとは」(BBCウェールズ)と手厳しかった。こうした事実ひとつずつが日本ラグビーの将来の扱いを変える。エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)の明敏な指導力、廣瀬俊朗主将の成熟した統率力が接戦をこちらへ引き寄せて、そのわずかな差は後年にものをいう。

今回のジャパンのウェールズ戦勝利の価値は、初戦に惜敗して、1週間後の再戦までの分析、準備、心構えで、北半球覇者の伝統協会代表を上回った事実にこそある。

ウェールズの少なくない選手は所属クラブでも公式戦出場の経験は限らており、蒸し暑さにも不慣れ、ゆえに初戦のチャンスは明らかだった。だが18対22と敗れ、あるいは魚を逃したか、と思ったら、23対8と逆転できた。

強豪国相手のこうした例は、遠い昔、伝説のイングランド戦以来かもしれない。1971年、大西鐵之祐監督率いるジャパンは、やはり高温の花園ラグビー場で、日本人レフェリーのもと、なにもかもとまどう来日2戦目(初戦は全早稲田大学)のイングランドを向こうにスペクタクルなトライを複数奪って19対27と健闘した。4日後、こんどは比較的涼しい秩父宮でのナイトゲーム、イングランド人レフェリーが笛を吹いて、双方ノートライの3対6の名勝負を展開してみせる。思わぬ苦戦に尻に火をつけたはずのラグビーの母国代表(ライオンズ組など4人程度を欠くベスト)に対して、差をむしろ縮めた。だから人々は忘れない。1979年5月、来日のイングランド(ほぼベストの布陣)との花園での1戦目は、あわや勝利も、終了直前に引っくり返されて19対21で負ける。1週間後、東京・国立競技場での再戦は、4トライを奪いながら18対38に終わっている。歴史的には、こちらの流れが多かった。

ちなみに酒場のラグビー好きによく聞かれるのだが、当時は、日本のような新興勢力と対戦する伝統国の多くは「イングランドXV(フィフティーン)」の呼称を用いて正代表と差をつけた。いまはウェールズといえばウェールズだ。これは、ラグビーのプロ化にともない、クラブから選手を拘束するに際して「正代表でない」とするわけにはいかなくなったためで、実質は変わらない。71年、79年のイングランドXVは、ともに正代表と呼んでもおかしくないメンバー編成であった。

今回のウェールズ戦、ジャパンはスクラムを改善して、ラインアウトの整備を図り(ここはリスタートと並んでいまだ課題の領域だ)、地域戦略を磨いて、なにより決戦に臨む態度をつくり上げた。最終戦の前日練習、冒頭数分の見学ながら、選手の風情にはどこか透明感がたちのぼり、国内で強敵相手にアップセットを演じた過去の幾つかのチームの雰囲気と似ていた。ウェールズも前の日のセッションの雰囲気は締まってはいたが、花園で苦しんだ後、母国メディアをチェックすると監督はしきりに「暑くて苦しい試合、前半はリードされながら若手主体でよく立て直した」という総括をしていた。心のスキだ。ジャパンを呑み込むわけでも、危機感を抱くわけでもなく、その中間の「なんとなく勝てる」という悪魔のスペースに陥った。

ジャパンのもうひとつのよさは、ベンチから飛び出す人間の責任感の高さにあった。

とりわけ、ロック・真壁伸弥の鬼気迫り、なんと表現するのか、使命と献身が荒い呼吸をしているような奮闘に胸打たれる。いい顔してます。ウェールズ戦先発の伊藤鐘史のひとつのブレイクダウンを職人的に狙う長所(前半の前半に効いていた)とは好対照に、全時間帯にまんべんなく力をふりしぼる。「痛」と「疲」の文字はきっと辞書にない。右プロップの畠山健介は、身上のフィールドプレーでの仕事の質と量のみならず、このところスクラムの充実も確かだ。左プロップ・長江有祐も臨機応変にして堅牢なセットプレーで銀の光を放った。サントリーの背番号9、速さと早さの体現者、日和佐篤も負けず嫌いの気性が視線を鋭くして、交替出場直後から闘争心をしきりに発散、なんとも頼もしかった。

ジャパンのよさは、ひとつの方向を迷わずに進むチーム構築の方法にある。もちろんトンガの本物の当たりにしてやられたように、すべてを楽観するのは早計だ。ウェールズを倒して、なお本当のテストはこれからの感もある。ただ、少なくとも、いつかくる試練とまともに組み合う資格は得られた。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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