コラム「友情と尊敬」

第16回「タウンズビル発 2」 藤島 大 藤島 大

タウンズビルは、つまり「中津江村」だった。
ジャパンは、あの九州の山深い村の善男善女にとってのカメルーンかもしれなかった。
自然と景勝に恵まれた地方の小さな土地、そこへ、物珍しく色彩に富んだフットボールの集団はやってきた。
人々は大歓迎した。

おおげさなほどの喜びや感謝、温かいもてなし、そうした諸々が、本来は厳しく辛いであろう闘争の祭典を優しく包んだ。スコットランドと競り、最有力優勝候補のひとつフランスからは見事なトライを奪った。間違いなくタウンズビル市民の後押しがあればこそだ。

驚異のタフネス、32歳、ナンバー8の伊藤剛臣は言った。
「まるでホーム。秩父宮よりそうかもしれない」
善戦にわいたホームタウンは、ついに勝利を望むまでになった。しかし、やはり現実は甘くなかった。

ジャパン、フィジーに敗れる。
どうやら作戦を外した。南海の魅惑の怪人たちの好む広大なスペース、それに大きな球の移動を、いつの間にか許してしまったのだ。

スクラムをぐいぐいと押し(このクラスの相手に、これほど優位に立てた例はあっただろうか)、モールもぐいくらいは押し、ラックからの推進の鋭さも負けていなかった。なのにジャパンは球をさほど素早くもなく中庸のリズムで動かし「不安定で緩やかな状況」を自分の側からつくりだした。

不安定かつ緩やか。そう。ラグビー・フットボールの歴史の事実において、フィジー人の愛してやまない要素である。奔放で愉快なフィジーの魔法を封じるには、もっぱら局地戦に励む。世界の常識だ。あの夜のジャパンは、スクラム、密集の結束(強さではなく、まとまり)に優勢だった。しつこく、しつこく、局地戦を挑めたはずだ。
ピック&ゴーを繰り返していけばフィジーは反則をおかし、すぐにクイックで前進すれば、きっと思わずタックルしてきて、数度目にはイエローカード…。そんな図も描けた。

それでもジャパンは球を動かしたくなった。なぜか。大会に入ってからのフィジーはおかしかったからだ。
旧知の英国人記者によれば「内紛説がある」。ジャパン戦の先発を大きく変えたのも、そのせいとの噂があった。

チームがぎくしゃくしている。ことにコーチ(監督)やマネージメントと選手の関係が良好でなく信頼が壊れると、選手は、地面にこぼれた球に身を投げたり、敵のモールをこらえたり、遠くのキックをひたむきに追ったりといった「地味で痛い仕事」をしなくなる。フィジーはそうだった。ことに米国戦では、無駄走り(無意味ではない。もうひとつ余計に走ること)はどこにも見当たらず、内紛の有無を確認はできないが、ともかくチームは機能していなかった。

球を動かし、走れない相手が薄くなったところで前進と突破を。ジャパンの戦いにそうした意図ものぞいた。
しかし、現象としては、さぼって残っているフィジーの人の列へ球が戻っていくような展開を招いた。
しだいにゲームはルーズと化す。すなわちフィジーの時間は訪れた。

フィジーは「日本のチームでプレーする選手から情報を得ていた」(マッキャリオン監督)。
ことに先発SO、7人制の魔法使い、ワイサレ・セレビが負傷でしりぞき、ニッキー・リトルが入って以降はキックを多用、ジャパンの根源的欠点である蹴られた球の処理とその後の攻防の拙さ(とその放置!)をついた。
大正解だった。キックの球を落とす、なんとか受けても、蹴り返しの方針と技術がチームとして定まっていない。熱心には追いかけてこないフィジー選手が、ずらりと残っているスペースへ飛んだキックは、さらなるピンチを呼んだ。

戦い終えて、翌朝にタウンズビル空港を去る箕内拓郎主将は明かした。
「ジャパンはセットからの攻めと守りが基本。キックでさげられて、そこから前へ出る力は足りなかった」

いわば球がとっちらかる展開、いくら体が重くても、それはフィジーの所有物だった。

そこまで全敗、しかも、シドニー郊外ゴスフォードまで計6時間以上移動の中3日で迎えた米国イーグルス戦、後半18分、大畑大介のトライと栗原徹のゴール成功で26ー27と迫っても、記者席の身に逆転の確信は抱けなかった。各選手の奮闘は確かだ。しかしチームとしての「もろさ」は消えきってはいない。

ひとりの選手にファインプレーと子供じみたエラーが同居する。その厳粛なる事実は、ジャパンとしてのチームづくりの未成熟を示していた。タウンズビルに続き、ゴスフォードの観衆の心もつかんだ桜の勇士に深く敬意を抱きつつ、やはり、そう書かざるをえない。チームとは、つくづく、ひとりの人間と同じなのだ。

ラインアウトにサポーティングが導入され、自軍投入の獲得率が大きく増して以来、ノータッチの攻防こそは、勝利のための重大要素だ。そこは手つかずのままだった。「挑む側」の生命線であるターンオーバー直後の反撃とあわせ、カウンターアタックは、あまりに未整備だった。
これくらい戦える能力があるのだ。全試合に全力を尽くさなくてはならない「挑む側の体力」を本当に身につけていたなら、結果は異なっていただろう。

元無名コーチの本稿筆者として以下の結論に勇気はいる。でも、そうなのだ。
W杯のジャパンは、能力と存在の一部を示せた誇りとともに、指導体制の不備、準備不足を悲しむべきだ。

このページのいちばん上の行を書き出したのは、米国戦終了後半日を過ぎたあたり。すでに4年後の大会は始まっている。こんどこそ最良にして最高の人選と準備を。それのみが、たとえば難波英樹やアダム・パーカーの地面の球へ身を放り出しての献身、そしてタウンズビルの大声援に応える道なのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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