コラム「友情と尊敬」

第19回「タイソンにもトレーナーが」 藤島 大

サントリーが負けた。まだ日本選手権を残してはいるが、トップリーグ4位、マイクロソフトカップの初戦敗退(NECに完敗)は、やはり後悔のシーズンと総括されるだろう。

型の喪失、そこを要因とする評価基準(よいプレー、悪いプレー)の混乱、ひいては選手のチームに対する信頼の低落は顕著だった。マイクロソフトカップに敗れると、ある選手は「チームの体をなしていません」と囲んだ記者に明かしたほどだ。芝の上のことをさしているようだった。しかし同時に芝の外の現実を示してもいた。

ラグビーのクラブとは、当然ながら、赤裸々な人間集団だから、結果が出なければ、それぞれの置かれた立場によって不平は噴出する。ここでは、それについては触れない。触れるだけの取材も行えていない。

気になるのは「型」の問題である。ここではパターンと置き換えてもいい。

ささやかなコーチ体験で断言できる。選手は「型」が大好きではない。
「もっと自由に判断したい」「決まり事には限界があると思うのです」
みな、そう言った。また言わなくては気持ちが悪い。自由を求めてこそ人間は人間なのだ。まして青春のただなかである。紙幅の関係で語りきれないが、ラグビーの、スポーツの究極の価値は「自由」だ。深い自由を生きるために楕円球を追いかけるのである。

もしコーチ経験者が本稿を読んでくださっているのなら賛同してもらえるはずだ。
選手が「もっと自由を」と口とんがらかせたらコーチングのチャンスなのである。機会到来! スポーツの勝負における「型」が「自由」の正反対ではありえぬ厳粛なる事実を1時間半ほどかけて説得すればよい。

サントリーは型をなくした。なくしたように見えた。従来と異なり「最初の攻撃からトライを狙う」(トップリーグ終了時点の早野貴大主将のコメント)新方針を打ち立てた。フランスのように長いパスで大きな前進を狙うイメージもあった。それは難しかった。ひとつ目の攻撃の仕掛けから「ラックにするのかしないかといった判断が入ってくる」(同主将)。試合は滑らかさを欠き、思うようにチーム構築は進まない。サントリーには日本代表の選手が少なくない。ワールドカップのための不在で、どうしても統一した「絵」は描きづらく、結果、うまい者ほど自分の事情(自分が動きやすいように)でプレーする傾向が出てくる。芯がぶれたのである。そして全国のコーチが愛する選手諸君に噛み砕くように、型をなくしたサントリーからは見事に「個性」も消えた。自由はそこになかった。

本稿筆者は自由を渇望する戦士によく言った。
「マイク・タイソンにもトレーナーはいる」
元ボクシング記者の実感だ。元ヘビー級世界王者、無敵ともうたわれた若きマイク・タイソンは、規律とパターンを重んじる厳格なトレーナーを解雇して、気安い友人のような人間をコーナーにつけた直後に、プロ初の敗戦を喫した。2、4、6…。打つ場所を数字で暗号化していた時代、なるほど本人は息苦しく感じたかもしれない。だが、いまにして思えば、あのころのマイク・タイソンが最もタイソンらしかった。決められた番号通りにパンチを打って、なお世界が震える個性は発揮された。あれほどの肉体的才能を有して、それでも妥協を許さぬ指導者の細密な指導は欠かせなかった。

ラインアウトからはここを攻略して、必ず逆目に攻める。このタイミングで球をこう出して、FBは絶対にこの角度に走り込む。そうして幾つか突破を図ると、やがて判断の瞬間は訪れる。パスか、インゴールへ飛び込むか。内側へのリターンは上からか下からか。個性は自然に発揮されている。

「格に入って格を出でざる時は狭く、又、格に入らざる時は邪路にはしる。格に入りて格を出でて初めて自在を得べし」 
大正14年に発刊された早稲田大学ラグビー部の部誌『鉄笛』創刊号の一節である。かの松尾芭蕉の言として紹介された。パターンと判断、決め事と自由についての一部員の考察、芭蕉の精神にラグビー選手の心得は示されているのだと説く。すでに安易な二者択一は退けられている。つまり大昔からの主題なのである。

余談ながら、一昨年のサッカーのワールドカップ、フィリップ・トゥルシエ監督は防御のラインを前へ上げる方法を徹底させた。ベルギーとの初戦、裏をとられて失点した。続くロシア戦、選手たちは話し合い、いささかラインを下げた。これをもって「選手が監督を超えた」とする論調がしきりだった。あまりに一面的だと思った。「ずっと極度に上げてきたから大切なところで下げることをわかった」とも解釈できるはずなのに。

あるいはサントリーは「型」を出ようとしたのかもしれない。きっと志はあった。ただ厳粛な勝負の世界、結果としては、ひとまず型と自由をいっぺんになくした。失意と反省ののち「統制と応用」の凄味を獲得できるか。新しい勝負の姿を待ちたい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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