第175回「昨日も明日も柳川大樹」
藤島 大
アマチュアに引退なし。かつて、そんな言葉がいまよりはよく語られた。
ラグビーもそうだった。トップの社会人チームの主力がスポーツ記者の耳元に「今シーズンで最後」とささやく。ちょっしたスクープだと記事にする。でも、どのみち社員なので選手契約など存在せず、もし、部を去って数カ月後に復帰したくなって、職場の上司に「前言撤回いたしたく」と頭をさげ、あれこれ社内の根回しがすんだら、ひょいとグラウンドに戻る可能性もなくはない。
「引退なし」の本来は、プレーに対する報酬を得ていなければ、どこまでもいつまでも、その人の意思のまま、といったあたりだろうか。「ただただ好き=アマチュアリズム」は戦争や強権の介入がなければ、根源において断ち切られない。
ただ最近は「プロフェッショナルに引退なし」と、むしろ思う。プロはプロで現役を去ると当事者が明かしても、たとえば他チームや海外のクラブから、よりよい条件、断るには惜しいあれこれを提示されたら、職業の範疇での「前言撤回」はありうる。
そこで柳川大樹だ。リコーブラックラムズ東京の魂のロック。5月21日、公式にクラブが「引退」を発表した。
えっ。もったいない。まず思った。
5月11日。リーグワンの最終18節。対三重ホンダヒートの後半0分に背番号19で登場するや、36歳の長老格は24歳の青年のままの活力をとことん示し、年齢相応の読みの深さでボールをよくさわり、ここというところで奪ってみせた。
試合前、これにてジャージィを脱ぐとの見立てもなくはなかった。今季ここまでの出場は第4節(対トヨタ、後半30分より)、9節(対東芝、後半20分より)のみ。最終戦でのメンバー登録に「さよなら」のイメージはよぎった。関係者のひとりにたずねたら「本当に自分たちにはまだ知らされていない」と首をひねった。
柳川大樹は本日もまた柳川大樹だった。67-22の快勝後、即席インタビュー用の通路で長身191㎝、見上げる位置の顔めがけて録音機を突き出した。
またもや元気で。
「まあ、まあ、まあ、まあ」
想定より長い出場時間ですよね?
「まあ、(先発の山本秀の)負傷のアクシデントがあったので」
それにしても、よくボールをさわりますよね。
「きつかったです」
そう言って、四国のどこかの山里に実る柑橘のような笑顔になった。
まだまだ?
「まあ、まあ、はい。頑張りたいです。ありがとうございます」
まだまだ現役続行ですよね、と、聞いたつもりだった。
録音、たったの32秒。引退間違いなしと踏めば、しつこく質問を重ねるところだが、芝の上のあまりにもはつらつとした姿が、こちらの「疑い」を打ち消しており、よって短い取材となった。
さあ、もういっぺん。柳川大樹。現役のおしまいの瞬間まで、遠い昔に「和製オールブラックス」とおそれられた歴史も染みるオールブラックのジャージィに身を包んで、それは当然だった。全盛の実力や覇気はかすれない。お見事!
徳島県立城東高校ー大阪体育大学ーリコーと進んだ。日本代表キャップ1。2017年のアジアチャンピオンシップの韓国戦で6番を担った。4月22日。仁川広域市の南洞スタジアム。47-29でジャパンは勝った。
ちなみに先発を1番から並べてみる。石原、日野、渡邉、大戸、宇佐見、柳川、小澤、徳永、流(初キャップで主将)、小倉、ロトアヘア(アマナキ)、中村、山中、野口(竜司)、尾崎(晟也)。香港協会のスティーブン・コープマンが笛を吹いた。
ひとつだけのキャップ。もっとたくさん選ばれたかった。それはそうだろう。しかし、0と1を隔てる河川の幅は、99と100のそれよりもずっとずっと広い。
トヨタヴェルブリッツのスティーブ・ハンセンHC(ヘッドコーチ)は、オールブラックスの監督として2015年のワールドカップを制した。その人が語った。
「自分は選手でオールブラックスになるには力が足りなかった。もし(代表で)ひとつの試合に出場できるなら、コーチとして成したすべてを差し出すだろう」(2016年、NZヘラルド)
あらためて日本代表キャップ1。永遠のジャパンだ。忘れちゃいけない、2011年の7人制代表にも呼ばれている。
アマチュアに引退なし。柳川大樹は社員である。アマチュアに愛の限りもなし。
リコーのワン・クラブ・マンは、だからなのか、ふりかえれば最後の公式戦にあって、昨日とも明日とも変わらぬたたずまいでぶつかり、駆け、吠えた。定年当日まで靴底をへらす営業職や黙々と机に向かう経理担当のようではないか。愛。それがチーム愛だ。
親愛なるブラックラムズのファンよ、この大男を100人でかついで世田谷の商店街を練り歩きませんか。きっと、近所の子どもがついてくる。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。