コラム「友情と尊敬」

第58回「負けなれぬ者よ」 藤島 大

開幕を待とう。ジャパンの第1戦を待とう。そう考えていたが、もっとよく考えると、いくら待っても次から次へと決戦があってキリがないということに気づいたので、9月6日、パリ東駅近くに借りた屋根裏アパートの丸机で書き始める。

ワラビーズ、ほぼベストの布陣。なんと佐々木隆道は幸せ者なのだろう。

こんな場に臨めて、20代前半で、日本列島の最高級のラグビー選手たちを率先できる。運ではあるまい。実力と努力のおかげだ。

約1ヶ月前のアジアン・バーバリアンズ戦の直後、佐々木本人と立ち話できた。

「頼むよ、ワラビーズ、バチーンと勝負してよ」。スポーツライターがあまりにも内容のない激励を試みると、若きリーダーは言った。

「まだ個人的にはディフェンスしか研究していないんですけどね」

惑星最高レベルの諜報能力を誇「OZIA」に解読されたら困るので、具体策は書かないが、ちゃんと幾つかの具体的アイデアを語ってくれた。こいつとこいつでこのへんを攻めるといった。あくまでも実践的なところは師匠(サントリーの清宮克幸監督)ゆずりでなのであった。

ワラビーズは甘くない。佐々木主将の思うがままに事は運ぶまい。ことにバックスのディフェンスについては心配だ。へたをすればダムは決壊する。

しかし、とにかく世界最強の一角に対してリーダーが「ここが弱い」と言い切るところは頼もしかった。ただの精神論ではなく、その意志と意気を欠いたなら、とてもワールドカップの場で戦い切ることなどできない。

12年前、東京・西麻布で、聞いた一言を思い出す。

「ジャパンには負けなれた人間を選んだらダメだ。本当に軸になる選手だけを残して、あとはフレッシュなやつでいったほうが強い」

元日本代表監督の大西鐵之祐さんは、そう断じた。

どんなに「勝つチャンスはある」と口にしても、心の底の底の底からの本心かどうかは透けて見える。根底で「無理だ」と感じてしまえば、勇ましい言葉は上滑りして、泡よりも淡い。俺は負けない。俺は俺のラグビーを信じている。無鉄砲に思い込むほうが、まだ強い。

1973年、ウェールズに敵地カーディフで初めて挑んだジャパンの右WTB、伊藤忠幸(リコー)は、当時の世界最高峰、フィル・ベネット、JPR・ウィリアムズを振り切り、はねのけた。本場の観衆も驚く重く速いランだった。あとで分かったのは「そこまで凄い選手たちとは知らなかった」という微笑ましい事実だ。名前くらいは知っていたが、情報の少ない時代だけに胸に深く刻まれてはいなかったというところだろうか。そのぶんだけ畏れずにすんだ。

中途半端な海外体験を踏むとコンプレックスや諦観が先に立つ。それなら小さな世界であっても厳粛な勝負を乗り越えた自負がましだ。大きな世界の敗残者より、小さな世界の成功者のほうに、大きな世界の成功者は歯応えを覚えるはずなのだ。

大西さんは「日本人は外国人とさせばさすほど弱くなる」という内容も語った。しっかりした準備のないままに海外強豪と戦う経験よりも「一発勝負」のほうが力を発揮できるという意味だろうか。ここの部分には異論もあるだろうが、ひとつの勝負論としては迫力がある。

4日付け、オーストラリアン紙の電子版にトウタイ・ケフの言葉を見つけた。元ワラビーのナンバー8にしてクボタの巨人は、ジャパンについてこう述べた。

「心理的に彼らは、まだまだ強豪国の域に達していない。アジアの国と戦う時には、絶対に勝つと信じて、そのようにプレーできる。しかし他の国との対戦では、戦う前から負けてしまうんだ」

ケフは「若い選手は変わりつつある」という主旨や日本ラグビーの長所も述べているが、それでも「ワラビーズやオールブラックスやスプリングボクスという名前には畏怖の念を抱いてしまう」と指摘する。

佐々木隆道主将の自分を信じる能力、ただ畏怖はせぬという心構えは、そうした古今の見解への一定の解答となりうる。ジャーナリズムとしては根拠なき楽観はできない。「大敗の可能性」だって否定はしない。それでも負けず嫌いのヘッドコーチとキャプテンの顔を見つめると、ただではしおれぬとも信じたくなるのである。頼む、バチーンと勝負してくれ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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