コラム「友情と尊敬」

第48回「人間の笛」 藤島 大

トップリーグがおもしろくなってきた。実感である。もちろん、試合ごと、あるいは、それぞれのチームごとに、ばらつきはある。でも「退屈で仕方がない」という内容は少なくなった。

と、書き出して、水を差すようだけれど、休止期間を前に、残念な一幕があった。

サントリーサンゴリアスとリコーブラックラムズの一戦、試合後の敗者の記者会見が、レフリー批判で重苦しくなった。

リコーは、シンビンの黄色いカードを次々と突き出されて、前半の感動的なほどの健闘を、番狂わせに結び付けられなかった。

佐藤寿晃監督は言った。

「敗因はレフリーとしか言いようがない。世界のラグビーを見ても、自分たちの持ち込んだボールのノットリリースでシンビンなんて例はない」

そして「レフリーは、自分が神になって…」と続けて、もう少し、感情的な言い回しをした。

気持ちは、半分はわかる。当然、笛を吹いた谷口和人さんにも、カードを出すには出すだけの理由と確信があるはずだ。リコーとして、ビデオ映像で精査後、おかしいと思うのなら話し合ってもよいだろう。レフリーは、まさに神ではありえず、グラウンド以外では、いつでも批評されるべきだ。

個人的に、残念に感じたのは、そのことではなく、ある取材者の質問の内容にあった。要約すると、こうなる。

「試合後、(早稲田大学出身の)谷口レフリーが、(サントリーの)山下主将と握手をしているのを見て驚いたのですが…。やはり早稲田なのかなと」

ある種の「正義感」や「判官びいき」に基づいた発言なのは理解できる。でも、こうしたレフリー観、ラグビー観は間違っている。

世界のいかなる場所であれ、試合後のレフリーとそれぞれのキャプテンは握手をする。するべきだ。それがラグビーなのである。そのことと、正当なレフリーイング批判を結んではならない。もし、万が一、あるチームのキャプテンが「きょうのレフリーは我がチームに肩入れしていた」と思ったとして、「だから握手するのはよしておこう」と考えたら、そんな不健康なことはない。

そして、ここが大切なのだが、そもそもレフリーがどちらかの側に肩入れすることはありえない。小さなレベル、各地域の中学や高校の大会などで、つまり広く注目されない試合において絶対にないとはいえまい。でも、トーナメントの人繰りの都合でたまたま学校の先生が笛を吹いたのでなく、自分のことを一義的にレフリーだと思っている者はそんなことはしない。レフリーイングがおかしいのなら、それは悪意ではなく、うまいか、へたかだ。だいたい、テレビ中継を含む、衆人注視のグラウンドで、片側にひいきをするなんて、相当な腕前でないと不可能だろう。

およそトップリーグを吹くようなレフリーが、たかだか自分の母校の後輩がいるからと、笛を曲げるはずもない。それは人間に対する想像力をあまりにも欠いている。その程度の気持ちで、余暇のすべてを捧げて、旅から旅の暮らしをできるわけはない。だいいち、リコーにだって、レフリーと同じ大学の出身者はいたのである。

繰り返すが、レフリーは神ではない。カードの連発には違和感を覚える例も多い。いまだ「厳格こそよし。上の決めた基準を厳守」の思考は根強い。そうではなくて「ラグビーこそ神。そのゲームのレフリーイングはそのレフリーのもの」という解放された精神が上位にあるべきだ。しかし、それでも、現在の日本ラグビー界のレフリーは、全般に、まっすぐな向上心を抱いている。勉強もしている。「わざと、どちらかのチームに…」と考えるトップ級(トップ級でなくとも)のレフリーは皆無と断言できる。みんな、もっとストレートに「自分がうまくなりたい」と考えている。

レフリーは批評されるべきだ。今季、競技力向上委員会の意向で「ノットロールアウェイ」がしきりにペナライズされている。「そうすれば立ってプレーするようになる」という意図らしいが、いささか机上の論にも思える。「世界の標準」に合わせようというのは正論だ。しかし「厳しく。厳しく」という強迫的心理がゲームをせせこましくする傾向がなくもない。ノットロールアウェイにしたって特別に見ずに、普通に見ればよいのである。強く深いタックルをすれば、弱く浅いタックルよりも、わずかに退転は遅くなる。そこに反則の境界を設けたら、日本のラグビーの競技力はますます後退してしまう。

もうひとつ気になるのが、試合直後のレフリーが大切にされていないことだ。すぐに控室に評価する側の人間がやってくる場面を何度か見た。たぶん、あれこれと注意をしているのだろう。せっかく笛を吹き終えて、しばらくは、自分で静かに考える時間があってよい。ジャーナリストの「事実確認」には答えるべきだが、評価は、もう少し日数を経てからでよい。映像で見返すと、印象の違うことはよくある。そういう些細なところで、ラグビーよりもルールブックを優先させる「減点主義」が広まるのだ。

さらにひとつ。ゼブラカードに一理なし。あれに、いいことあるのか。言葉と黄色いカードの中間はなくてよい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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