コラム「友情と尊敬」

第166回「鵜住居にたたずむ」 藤島 大

3月9日の夕刻。釜石市内のどこかの細い道を折れる。元シーウェイブスの銀行員に教えてもらった酒場を早足でめざす。

店名は英語なら「ザ・ローン・パインツリー」。おそるおそる短いカウンターに座ったら、東京のスポーツライターを除き、そこにいる全員が老若男女の「若」を省いた地元の人々なのであった。

もっぱら話題は「シカに畑を荒らされぬための対策」である。「唐辛子を植える」。土にまくという意味らしい。「そう。効果ある」。「でも唐辛子、高いだろう」。「根っこのほうは安いんだって」。地方の言葉を活字にするのは得意のつもりだったが、今回は心地よい抑揚の再現はあきらめる。いつも接する釜石市民は旅の者にわかるようにしゃべってくれていたのだ。

さて。唐辛子大作戦の結論は「雨が降るとダメだ」。

納豆の天ぷらなんかに燗の酒をちょっぴり。うまいのなんの。主人の自分のペースをまったく崩さず、それでいて客の要求に端正に応える自然体に「実力」を思う。

大学日本一をめざすコーチ時代、大先輩で戦前の名手、川越藤一郎さんに諭された。

「君たちもよく考えてはいるけどね、まず実力をつけてください」

選手層の劣勢を独自の戦法と猛練習で補おうとしていた。伝説の人物は、それだけでは頂点に届かない、なんといっても力量です、と、穏やかな口調できっと伝えたかった。

明日の日本製鉄釜石シーウェイブスと九州電力キューデンヴォルテクスの「東日本大震災復興祈念試合」に備えて席を立つ。すると、それまで場違いな男にまったく視線を送らなかったレギュラー(常連)たちが、いっせいに「満足したか。おいしかったか」と声をかけてくる。そっとしておいてくれたんだ。それにシャイ。泣ける。

宿へ帰る途中、ラグビーを指導したことのある「教え子」から連絡がある。「二合半という店にいます」。かつてともに戦った同志と大好きな一軒の合わせ技。断っては天が許しません。だいいち、夜の7時前じゃないか。

店内に福岡の太宰府在住のファンがいる。早朝5時に家を出たそうだ。復興スタジアムの近くに育ったローカルの愛好者との旧交を温めている。よい機会だ。かつて鵜住居駅の近くにあったカルディという名の喫茶店について教えてもらおう。どのあたりにあったんですか。試合前に跡地を訪ねたくて。

「あー、地形が変わったからなあ」。ドキッとした。それでも記憶をさかのぼって説明してくれた。

なぜカルディか。長山時盛が通ったからである。新日鐵釜石ラグビー部の頑健な元プロップで1988年度、89年度のキャプテン。現役ミュージシャンでもあるのでここでは敬称略としたい。花園の強豪、國學院栃木高校のいつも強いと評判のスクラムを支える腕利きコーチの顔も持つ。

6年前。鵜住居の思い出を話した。

「カルディという喫茶店があってブルースのレコードを流すんです。休みの日、寮から車で30分かけて行って、2時間ほど聴いて、ハンバーグカレー食べて帰ってくる。うまかったあ」。

13年前のあの日、多くの若者に慕われたマスターはどこかへ消える。長山時盛は自作の『恋の峠』で歌った。

<愛読書は『宝島』 放浪へきあり ブルース好き 無口な大酒のみ みんなのよき相談相手 そんな人が店を営む 鵜住居カルディ> <釜石から鵜住居へは 恋の峠を越えてゆきます みんな口には出さないが あなたを待ってる>

「みんな口には出さないが」。その一言の重さと美しさよ。

シーウェイブス―キューデンヴォルテクス戦の当日、駅を出て、たぶん、このあたりというところで少しだけ時間を過ごした。昔、昔、茨城県立大宮高校出身で「釜石は日本海側にあると思ってた」無名の少年、のちの日本A代表にしてブルース歌手でギタリストはここに鋭気を養った。

祈念試合の釜石シーウェイブスは白星をつかんだ。乱れなかったラインアウト、ミスもピンチにならぬ意志の勢い、実力が奮闘を健闘に終わらせなかった。

後半、八戸西―帝京の15番、中村良真は陣地を刻むキックの応酬にしぶとく蹴り勝つ。小さくて大きな瞬間である。函館工業―大東文化の13番、畠中豪士の攻守における迷いなき衝突にも鉄人のイメージは重なった。両名は本欄選定の「オールモストPOM(ほとんどプレーヤー・オブ・ザ・マッチ)」。許されるならザ・ローン・パインツリーのディナー券を進呈したい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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