コラム「友情と尊敬」

第182回「利他と敬意の部室へ走れ。」 藤島 大

こういう瞬間なのだ。わが街に暮らしてよかったと感じるのは。

駅を出て短いアーケードを北へ抜ける。角を折れたあたりのスペイン酒場の主人は若き日に東京都立青山高校ラグビー部のバックスなのであった。「元部員情報」は1年ほど前、旧知の出版人よりもたらされた。A級のインテリジェンスである。さっそく往時の私立城北高校FWで、親睦結社の『居酒屋で若者に、炭水化物も最初からどんどん頼めよ、と言って、自分たちこそが箸を伸ばす会』(略称・ITJ)同志の腕利きコーチと訪ねた。
まっすぐ走って、球をまず落とさず、きちんと仲間へつなぐ。そんな品々と良心、さらには優雅な気骨とでも呼びたくなる雰囲気にたちまち幸せになった。

そこから直線なら陸上競技短距離種目くらい。みしみし音のしそうな階段2階のワイン酒場のあるじは、かつて都立豊多摩高校で楕円球を追ったらしい。こちらは約半年前に同業者が教えてくれた。毎日通る路地なのに「ワイン」の三文字に気圧されて、目の端のほうで看板をとらえるばかり、いつもなんとなく通り過ぎた。しまった。

そこで某月某日。前出のコーチ、元都立国立高校ラグビー部の新聞記者ともども、おそるおそる侵入、ただちに実力を見せつけられる。独自の肴の細部の細部まで手を抜かぬ感じに静かな迫力がある。ミニチュアのボールがひとつ、さりげなく置かれて、ラグビーの匂いはそれだけなのもよい。

初めて訪ねて、根掘り葉堀の質問は、聖なるアルコール憲章に反する。ひとつだけ。豊多摩高校でラグビーを?「どこかで聞きましたか」。穏やかな調子だ。ポジションは?「フランカーです」。なるほど。すべてを把握した気になる。体を張りつつ思わぬコースに現れてボールをさわったぞ、この人は。

個人的に都立豊多摩といえば、詩人の谷川俊太郎や小説家の橋本治、敬愛する俳優、イッセー尾形(サッカー部ゴールキーパー)の母校だが、ラグビー部も長く実力を示した。
 古く1952年1月には、つい「花園」と記したくなるが、まだ会場が西宮球技場のころの全国大会に出場している。1回戦で鹿児島の甲南高校を15-0で破り、続く準々決勝では北海道の北見北斗高校に6-17で敗れた。確かなヒストリーはこの小さな店のカウンターの内側にも命を続けている。

4月。毎年、毎年、同じことを考える。どこかの学校に通い始め、いまラグビーの部室の前で迷っているなら、どうか扉をあけてください。ひとつの根拠が、間違いのない飲食店の間違いのなさそうなふたりである。ほとんど話していないのにわかる。手の甲にタックル傷をこしらえた時間はこうして実を結ぶのだと。

以下。入部するかしないか思案の「仮想の高校1年生」へ。本コラムの独り言である。

ラグビーの奥深さは「利他」にある。あらためて利己のさかさま。「みずからを犠牲にして他人に利益を与える」。あるいは「他人の幸福を願う」。というと道徳の方向にとらえられがちだ。「そいつは立派な生き方だ」と。

ちょっと違う。ラグビーという競技は構造的に「利他」のほうが強い。そのほうが勝てる。したがって損はしない。ここに妙がある。10年前。日本代表98キャップの永遠のロック、当時は現役なので敬称を略して、大野均のさりげなく、しかし強靭な一言に接した。

「仲間のために体を張ると自分の限界を超えられる。疲れていても、こいつを助けようと、足が一歩前へ出るんです」

利他がチームをさらに白星へ進める。利他があらかじめチームやゲームに組み込まれている。そんな集団と競技に加わる。悪くない青春のはずである。

このごろラグビー経験のある救命救急のドクターとたまにビールを酌み交わす。そこでわかった。医療とラグビーは「そもそも利他」で重なる。傷つき弱っている人をなんとかして救う。痛みを取り除く。もちろん医師や看護士はラグビー選手と同様、非の打ちどころのない人格者ばかりとは限らない。どちらも「いい人が多い」と経験では信じられる。されど、ひとり残らずというわけにはいかない。

あえて申すなら、仮にいくらか利己的な個性でも、他者の利を求めるほうが、果実を得られる。ここのところは飲食業も似ている。お客さんの「おいしい」や「くつろげる」こそは本来である。だから食材吟味のためにもうひとつ走る。さらなる手間をおこたらない。

秋田県立能代工業高校の大昔のバスケットボール部員で類のない表現者、友川カズキが15年ほど前のライブ演奏で「大阪の立ち食いうどんのおいしさと安さ」にまつわり話した。

「安くてうまいものが文化なんです。手間暇かけたから高い。あれ小理屈ですから。料理は手間暇かけるのよ」

核心を突いている。うどんに投入する牛筋を丹念に仕込む。こぼれた球に身を投げ出す。どちらも自分でない者の笑顔のためなのである。

ラグビーでは闘争と友愛が削り合わない。
「正面から対決する集団スポーツであるラグビーは、チームメートとの協力とともに、他人に対する敬意を前提条件とする」(『ラグビー』ダニエル・ブティエ著、白水社)
 どんなに荒々しくとも野獣の暴力の手前に踏みとどまる。敬意はあらかじめそこにあるのだ。かくして、たどり着く境地はここ。

「厳しい環境のなかで、与え、分けあう」

フランスの有名なラグビー解説者、ダニエル・エレロの忘れがたい言葉だ(前掲書より)。どうせスポーツに励むなら、体をひどくぶつけ合いながらも「奪い取る」より「与え、分けあう」ほうが人生に滋味をもたらす。

いまも罪なき市民が戦火に倒れる。ラグビーをしたら、あなたは世界を変えられるのか。とても簡単ではあるまい。それでも真剣にラグビーをしたら「世界があなたをを変えることはできなくなる」。マハトマ・ガンジーの名言を模すなら、きっと、そうなのだ。

おしまいに。ざっと20年前、ラグビー中継の現場に年少のラグビー経験者がいた。なんと表現するのか、打たれても打たれても倒れぬボクサーのごとき風貌をしている。そこでつい聞いた。タックル、激しかったですよね。本人は肯定も否定もせずに小声で言った。

「さあ、でも脳震盪はよくしました」

2026年春の新入生のみなさん。ラグビー部に入ると、自慢をせず、ウソもつかない人間になれます。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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