コラム「友情と尊敬」

第11回「練習の倫理」 藤島 大

 ジャパンが湿地帯にあえいでいる。
 我々の大切なジャパン、最高かつ最良であるはずの文化財が。
 ひとつの言葉が思い浮かぶ。
 向井ジャパン発足からしばらくアドバイザーの位置にあったロス・クーパー氏の発言だ。

 かつてオールブラックスのコーチを務めた人物は、なぜか、もうひとりの新スタッフ、現フィットネス・コーチの豪州人、ガリー・ワレス氏ほどメディアの注目を集めなかった。
 あれはいつだったか、報道陣がワレス氏をわっと取り囲んだら、SHの前田隆介(近鉄)が「なんでクーパーさんには誰も行かないのか」とつぶやいた。
 だからというわけでもないが、近寄ってジャパンの印象を聞いてみた

 ロス・クーパーはこう言った。
「思っていたよりサイズは大きい。技術も悪くない。ただワーク・エスィック(Work Ethic)が問題だ」
 それ、どういう意味ですか。
「練習中、ミスがあっても深刻に受け止めない。ボールを落としたらすぐに自分でカバー(セービング)するという意識がないんだ。グラウンドを歩く選手も目につく」

 英語堪能の記者に「Work Ethic」を訳してもらったら「練習の倫理」でひとまず落ち着いた。もう少し広い意味(活動の倫理というような)もありそうだが、あの場のクーパー氏は練習の雰囲気を語っていたと思う。
「グラウンドを1秒も歩くな」。都立高校から大学ラグビー部の門を叩いて、4年間、この怒声につきまとわれた。「ああ、オールブラックスもおんなじなんだ」。なんとなく感激を覚えた。

 さて、ロシア戦のジャパンやニュージーランド学生代表(NZU)戦のジャパンAは論外だった。あれは人間でなく人間の抜け殻がラグビーをさせられていた。
 しかし豪州A代表戦のジャパンには、一部の選手を除き、焦燥と紙一重の闘争心と気概はあった。体を張ろうとした。だから反省ができた。

 大きくとらえればこうだ。
 ボールを持っていない選手の意識の低さ。

 キックを追う・戻る、ターンオーバーおよびペナルティー後の攻守の反応、タックラー周辺のスペースへの働きかけ…などなど統一感に欠けていて、だから体が動かない。選手のせいでなく指導の希薄が要因だろう。ムーブ(サインプレー)の確度と選択、ラインの角度、防御の出足などの課題もあるが、なによりチームの「大義」の輪郭がぼんやりしているのが深刻だ。

 ワラビーズの2軍、それも体調、連係とも万全には遠い相手なら、やっつけられる。少なくとも現場は信じて、いったいどこで勝つのかを考え抜く。暑さが味方なのは、3戦を亜熱帯地方で戦うワールドカップ本番(フィジーは高温多湿にも強そうだが)を含め、とっくにわかっている。速さ(早さ)とフィットネス。仮にそう決めたなら、その方向に練習は絞られるだろう。
 つまり漠然とした一般的なドリルは捨てられ、戦い方に応じた特殊な練習法に徹せられる。
 その過程で、おのずと「練習の倫理」は問われるはずである。

 体格に恵まれなければ、ミスの起こりがちなプレーを選択せざるをえない。だからこそ練習中のミスの処理には厳しい倫理を求められる。自陣で敵投入ラインアウトをこしらえると高い率で失点を招く。ノータッチを蹴り込み、なお、そこからの連続した防御を喜べる組織と意識と体力の養成は「練習の倫理」なくして不可能だ。のこのこ歩く者がいれぱ即トライを奪われる。

 うわべの海外情報は日本列島に蔓延している。だが、熟慮なき模倣は危険だ。いたずらな崇拝をも呼び、そうするとジャパンは勝てない。
 一例は「オフロード」。「荷をおろす」が直訳。抜きにかかり、タックルを受けながら、深いサポートの味方につなぐ。発達した防御網を破る方法として90年代後半のフランス発で注目を集め、本年、にわかに日本国内でも流行の気配である。

 オフロードのためには、最初の攻撃の仕掛けの成功が条件で、そこを飛ばして「つなげ」と要求しても本末転倒である。ジャパンの立場では、日本の選手のとても不得手とする「深さを保ったサポート」「そのための70パーセント程度でのスピード制御(トップでもジョグでもない速度)」という難関が待ち受け、さらに真剣勝負において巨漢とのコンタクトに倒れずにいられるかを検証しなくてはならない。

 他方、海外強豪がオフロードを多用してくるのをおそれてはならない。個人的には、ジャパンにとっての朗報だと確信する。
 つないでくれれば、そこでエラーを誘う可能性は増す。日本のラグビーにはオフロード封じの伝統はあるのだ。

 国内でも、かつて日本体育大学の元気がよかったころはオフロードに近いプレーが得意だった。
たとえば早稲田でも日体大戦の前になると特訓をした。ライン防御で前へ出る。それでも、つなごうとする。そのつないだ先にタックラーが入り込むドリルを繰り返す。横のタックルの成否を気にせず、いや倒すことを信じて、スペースへ先回りする。1週間の集中練習でも意外なほど効果はあった。

 1968年のジャパンのニュージーランド遠征、NZUとの最終戦のダイジェスト放送のビデオを所有しているが、そこにはNZUのオフロードとジャパンのシャロー&スウォーム防御の攻防が記録されている。ジャパンのあまりにも速い飛び出しに、当時は強豪としてのステータスを有していたNZUがつなぎを仕掛ける。タックルに入らせてパス、一気に裏へ出ようとする。

 しかしジャパンも極度に前へ出ている(日本流シャロー)から2線防御も前へ向かう。いわゆるシャロー式防御の最大の利点、「前へのバッキングアップ」である。つないだ先に複数で群がり(スウォーム)、抜かれても必死のカバーリングで追いつく。

 もちろんカテゴリーや時代は異なる。ワラビーズ候補がオフロードを仕掛けて、簡単には阻止できない。しかし、がっしりラックを連続され、ドライブされ、モールに固執されれば、勝負の観点からはさらに厳しい。ワールドカップのスコットランドが上をにらんでオフロード系のつなぎをジャパン戦でも使ってくれるなら、前へ出て群がる防御での活路は広がる。

 何が言いたいのか。
 ジャパン、それに多くのチームにとって重要なのは海外情報の後追いではない。
 古今東西、よきラグビーの普遍的価値である「練習の倫理」、それをもたらす、わがチームにふさわしい「生き方」を突き詰めるのが、特定のプレーの模倣より、先決ではないか。
 迷いを抜け切れないジャパンの勇士の姿にふと思った。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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