コラム「友情と尊敬」

第45回「ジーコのせいだ」 藤島 大

すべてジーコのせいだ。とりあえず、それでいいのだと思う。
もちろんジーコを選んだ者も悪い。ジーコの能力の限界を放置した者も悪い。それはそれで検証されるべきだが、まず先に、グラウンド、グラウンドのまわり、ミーティングの部屋において何がまずかったのを確かめるべきである。

サッカー日本代表のどこか淡いようなワールドカップ(W杯)での敗退を眺めて、やけに既視感に襲われた。1999年W杯キャンペーンのラグビー代表に似ている。元オールブラックス、その候補、フィジー代表経験者など6人もの強力な外国人を次々にチームに加えながら、いざ本大会では吹き飛ばされた。負けただけでなく「ジャパンのラグビー」を世界に印象づけられなかった。現場から細々と発信された総括は「個人の能力差」であったと記憶している。

ジーコのジャパンは「日本人のサッカー」を表現できなかった。公正に述べて「失敗」だった。ブラジルのような才気はなく、韓国のきびきびした活力もなく、つまり、輪郭がぼんやりとしていた。何者でもなかった。ジーコその人は東京に帰っての会見で「体格の違いを強く感じた」と述べた。

ジーコが悪い。ジーコがしくじったから負けた。なぜか。チャンピオンシップのスポーツにおいて敗北の責任は、絶対にコーチにあるからだ。「コーチ」とは、この場合、監督であり、指導の責任者を示す。シュートの不得手なFWを選んで、緻密な戦法抜きの荒野に放り出して、シュートを外したと選んだコーチが非難したらアンフェアだ。

中田英寿がチームで孤立していた。そんな報道がある。現地で代表をカバーしたジャーナリストに確かめたら、やはり事実のようだ。これもジーコのせいだ。

なるほど中田英寿という個性が周囲とのあつれきを生じさせるのかもしれない。あるいは若い選手に覇気が足りず、仲良しグループの幼稚性を示したのかもしれない。キャプテンの宮本恒靖のリーダーシップが欠如していた可能性も否定できない。

そうであっても、それを解決するのがコーチである。人間関係のもつれ、気まずさは、コーチングにおいてはチャンスのひとつでもあるのだから。

たとえば、中田英寿がキングでよいとコーチが考えたなら、しつこく説得して、もしくは問答無用で命じて、ともかくキャプテンにしたらいい。あまりの厳しい要求に他の選手とぶつかる。場合によってはコーチとも衝突する。しかし、それこそがチームづくりの核心なのだ。どこで喧嘩をするか、させるかは腕の発揮しどころである。W杯本大会から逆算して、目標の試合のキックオフにはチームが最高の強度で団結できるように、どこかで喧嘩をすませておく。怒りや悔しさといった感情を克服することはチーム強化そのものなのである。

反対に、コーチが「中田英寿の専横は目に余る」と判断したら、ずばっとチームから外せばよい。それもチームづくりだ。「キャプテンでないのに仕切るな」が理由。コーチとは、あつれき(この言葉は何回も使用せざるをえない)をおそれず、セレクションを断行するために生きている。選ぶ。外す。その権利を持っているから、負けたらコーチのせいなのだ。

いちばんよくないのは中途半端に放り置くことである。本当のリーダーシップは発揮できないとわかっているのに、コーチに従順だから、無難だからと、キャプテンに指名して、結局は「権力の多重構造」を発生させてしまう。そうなると、よほど潤沢な戦力を保持していなければ、必ず敗れる。あつれきを避ける態度がすでにして敗北主義なのである。

中田英寿が最終ブラジル戦を終えると、ひとり芝に寝そべった。キャプテンを除きチームメイトは近寄らなかった。いずれにせよ見たくない光景だった。本当に悔しかったら、もっと呆然と、ただただ無意識のように、仲間(その意識が皆無ではチームスポーツでない)と同じ行動をとるはずだ。そう感じた。そして中心選手のあんなに孤独なふるまいも、チームを同じくする者の冷淡な態度も、これもまたジーコのせいである。あつれきを乗り越えて、強烈な個性を認め、そのうえにチームワークを築く。そんな集団をつくれなかったのだ。

早稲田大学ラグビー部の中竹竜二監督がよく言う。

「判断と決断は違う」

前者は、過去の事例を見つめ、正しいか否かを判定する。
後者は、未来の事象について方向性を打ち出す。
コーチにとって判断は前提であり、決断は覚悟をともなう特権である。特権を享受するから責任はコーチにある。偉くなりたいだけで、覚悟をともなう領域は部下に押しつけ、失敗しても当事者意識はない。あなたのまわりに、そんな最低のリーダーはいませんか。

協調性を著しく欠き、されど優れた資質を抱く人間をリーダーに就かせる。まさに決断だ。それによって傷つく者もいるだろう。損をこうむる立場もあるかもしれない。批判の刃は自分に向かってくる。それでも、あつれきに立ち向かい、あつれきを解決するエネルギーを血と肉にいただいて、絶対の目標に挑みかかる。それがコーチングの醍醐味なのである。

もしブラジルに負けて、同じように敗退と自身の引退が決まっても、そういうコーチングがあったなら、天才でなく凡夫でもない中田英寿という青年は、チームの仲間と一緒にファンに手を振っただろう。一瞬、芝にへたりこんでも、ただちに数本の腕が引き起こしただろう。ジーコのせいだ。それでいいのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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