コラム「友情と尊敬」

第76回「前提は結論でなし」 藤島 大

いつかと同じだ。あの時は「素の力」という妙な言葉だった。「ソ」と読ませたかったらしい。

1999年のワールドカップ、オールブラックス級の外国人を先発の3分の1以上起用し、いざ本大会を戦い全敗に終わると、あっさりと敗因は「ソの力」ということにされた。つまり個人の力が違うのだと。それを言っちゃおしまいよ。ラグビー好きは東京の下町口調で不満をこぼした。

あれから10年。こんどは「経験値」だ。2009年、ジュニア・ワールドカップのU20日本代表の総括は「経験値」とされかねぬ雰囲気である。それはよくない。以下、ささやかな反論のつもりである。

簡単に書くなら、前提が結論に置き換えられている。

そもそも、この場合の経験とは何をさすのか。試合の数か。外国人との試合の数か。接戦の数か。格上に挑んだ数なのか。いまひとつ、あいまいだ。

いずれにせよ、本当にそうなのかについては検証が求められるはずだが、もし経験値が足らないと考えるなら、そのことは大会前にわかっていたはずだ。

「海外はプロ。日本は大学生、それもレギュラーは少ない」。この言い方も広まった。

全員が「食べられるプロ」なのはイングランドだけだ。ニュージーランド(NZ)のアラン・クルーデン主将にしても「ウエイターをしている」と話していた。スコットランドのプロは「4人」。サモアの選手の大半は地元クラブ所属、NZやオーストラリア在住者もプロのスーパー14の下や「下の下」のクラブ所属だ。優勝のNZの大会前の練習は計12日に過ぎなかった。

また、日本の大学生をプロとは呼べないが、たとえば早稲田のグラウンドや設備はきわめて恵まれている。帝京大学にNZのカンタベリーから留学生がわざわざきたくなる条件は現実にある。かつてとは異なり大半の選手は少年期からプレーしている。強豪高校の練習試合の数、また練習の質量はサモアの同年代に劣っているのだろうか。

そして日本の社会、ラグビー界では「できれば大学へ進む」のが主流だ。トップリーグのチームにしたって高校卒業者を積極的に勧誘していない。大学からの選手がほとんどである。それこそ経験値の求められる分野の多くを外国人に委ねてきた。

つまり現場の指導者は「そういう環境と条件の国の代表」を率いるわけである。

もしタフな試合の経験こそを重視するなら、なるだけ強豪の高校、大学の出身・在学者から多く選べばよい。そうでないのに選んだのなら潜在能力を最後の最後まで信じて「経験不足でもできること」を粘り強く仕込むほかない。

‐‐薫田監督は「経験値の差が大きかった。厳しい試合を積んでいかないといけない」と指摘した‐‐(ウルグアイ戦後、サンケイスポーツ)

言葉じりをとらえるつもりはない。薫田真広監督は別のところで「選手たちは良く頑張った。持てる力を出し切った」(同紙)とも述べている。

ただ「経験値」のひとり歩きがこわいのだ。

大会におけるジャパンの戦法、強化の過程、セレクションの適切さ、スタッフの人選などをじっくり吟味・精査・検証することなく、なんとなく「日本は大学が中心だから経験値足らず」と総括してしまう。それでは、いつかきた道である。サモア、スコットランド、イタリア戦の直接の敗因は別のところにある。この経験値でももっとできることはあった。条件は前提であって結論ではない。

U20世界ラグビー選手権が日本で開かれて本当によかった。日本協会、各地方協会の担当者、無名のボランティアの人々の尽力はたたえられるべきだ。筆者のまわりにも、これでラグビーの魅力に初めて触れた人が複数いた。いわく「試合が終わってから選手が花道をつくるのに感動しました」。あー、忘れていた感覚だ。

U20日本代表にファンは感情移入できた。悔いは残るが、サモア、スコットランドと互角に近い勝負をするのだって簡単ではない。強くなった領域はある。そのうえで、より速くボールを動かし、仕掛けて仕留め切る独自のスタイルを創造しなくてはならない。モール頼みには限界がある。敗因を「経験値」に求めてはならない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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