コラム「友情と尊敬」

第97回「自分の頭で」 藤島 大

サイモン・メイングを覚えておられるか。かつてサントリーに在籍した元オールブラックスのロックだ。2001年から04年までテストマッチに11度出場した。08年に3シーズンを過ごした日本を離れてウェールズのスラネスリーへ移籍、その後、負傷で契約は打ち切られた。

ラインアウトの名手だった。サントリー時代、そんなことまでは契約に含まれていないのにコーチのようにパソコンの画面に何時間も向かい相手チームの動きやサインをひとり分析、控え目な態度で「このパターンが有効だと思う」とアイデアを述べたりした。

一昨日、複数のトップリーグ関係者と話したら、いまメイリングのような選手がめっきりいなくなった、という意見で一致した。「そういう外国人が」という意味にとどまらず、そういう日本のプレーヤーも少なくなったそうだ。

これはコーチングの細分化と関連している。ラインアウトの領域を担当するコーチが雇われ、プロとして詳細かつ緻密な分析に励む。選手は、いつしかそれが当たり前となり、たとえばサインや動きのパターンについては、ミーティングで授けられ、教えられ、説明され、つまり与えられると考えてしまう。

しかし、さまざまなレベルの指導者に聞くと、ラインアウトにしても、結局のところ、自分の頭で考え抜く者でないと、修羅場の緊急事態、想定外の事態に対応できない、と口をそろえる。コーチはコーチとして力を尽くし、教え込む。それでも教えて教え切れぬことは起きるし、また教えられて、なおその先を想像する力がないと最後は勝てない。

新しいスーパー15のシーズンが始まり、ワールドカップの翌年という周期もあって、総じて、どのチームにも若手の起用が目立つ。20歳、21歳は当然、ティーンエイジャーも登場してくる。プレイメーカーの背番号10をとっても、クルセイダーズのタイラー・ブライエンダール(21歳)、ブルーズのガレス・アンスコム(20歳)、ライオンズのエルトン・ヤンチース(21歳)など続々と定着してきた。

ここで多くの議論は「日本の大学生世代の停滞」という流れになるのだが、そこについては簡単に結論づけられない。大学進学率などの社会構造、文化の違い、そもそもトップリーグの側に高校卒業直後の選手を受け入れ育成する意思というか環境があまりない。それこそ背番号10については、外国人がこれでもかと並ぶ。幼少からの教育で「年功序列を意識せずに自分の主張を述べ、行動して、責任を取る」ことに慣れていない日本選手のあり方について、大学のラグビー部のところだけを切り取って「ここが潰している」と決めるのは不公正だ。日本には日本の成熟のスパンが正否とは別に厳然とある。大学を出たばかりのルーキーがトップリーグでそれなりに活躍できているのは一例だろう。

海外の若手台頭も、またプロ化によるコーチングの細分化のひとつの断面だと思う。攻防のさまざまなルールがコーチから与えられ、潤沢な時間をかけて仕込まれる(今季のスーパー15開幕前にハリケーンズの練習に接した知人によれば午前中だけで4時間、午後もまた同じくらいの長さを費やしていた)。だから一定の身体の条件を満たせば若くても力を発揮しやすい。

どこのチームもプロ集団としてそれなりに周到に準備をしながら、なお大試合が「個の経験の総体」によって結果を分けるのもまた事実である。ダン・カーター、フーリー・デュプレアのような「自分の頭で考え抜く人」をどれだけ得られるかが勝負となる。各年代でうまい子が一般に務めるSOのポジションに若手が抜擢されるのは、もともとの才能を見込んだ「完璧な成熟」への投資という側面もある。

細分化されたコーチングでは「選手が自分の頭で考えるように仕向けること」もまたプログラムされるのかもしれない。「与えられてばかりではいけない」という「正解」を「与える」のである。ここから本物の「考える人」が生まれるのかについては、これからの研究課題だろう。

クライストチャーチ生まれ、オタゴ大学で商学を修めたサイモン・メイリングは、この6月で37歳である。ニュージーランドのラグビーがプロ化した95年秋には20歳だった。つまりアマチュア時代、よちよち歩きのプロ創成期、そこから、海外クラブを渡り歩くようになるプロ発展期のすべてを体験している。「異国でひとり何時間も報酬対象外のラインアウト研究に励む」姿勢にはそうした経験が影響している気がしてならない。

強いコーチングを否定はできない。よきコーチとの出会いは人生の幸福である。ただし「コーチングの薄い時代」を選手生活の一時期に持つこともまた幸福かもしれないのである。大学ラグビー部にも、分厚いコーチングを施す一部のクラブ、放任に近い多くのクラブがあり、おもしろいことに後者を生き抜いた選手がトップリーグで成功する例は少なくない。放っておかれて、ゆえに自分で気づくほかなく、よき方法を盗み、学び、上のレベルへと進んだら、高度なコーチングを受けて花開く。ここにも人間はどう育つのかのヒントはある。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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