コラム「友情と尊敬」

第41回「次につながる」 藤島 大

トリノ五輪を眺めていると、つくづく敗北には、ふたつの種類あるのだと再確認させられた。
そもそも「志」の低い順当なる負け。なるほど「オリンピックは参加することに意味がある」。はい、オシマイ。そして「高い目標」を狙って、ひたひたと努力を重ね、しかし痛恨のミステイクや原因不明にも感じられる不調に襲われる負け。前者についてキーボードを叩くのは時間の浪費なので、後者についてのみ考える。

スピードスケート500メートルの加藤条治は、1回目、なぜか氷を刃でとらえられなかった。前走の転倒で中断のアクシデントはあったが、それだけが理由でもあるまい。やはりオリンピックならではの雰囲気が、鍛え抜いたはずの心身に何らかの作用をもたらした。2回目は、ほぼ実力を発揮できたのも興味深い。

「この負けは次につながる」。本当によく耳にする言葉だ。しかし歴史的に見ても、ちっとも「次につながっていない」チームや国や個人はたくさんある。

加藤条治も「次につながる」という内容をメディアに語った。その通りだと信じられる。なぜなら、このトリノ五輪6位のスケート選手は、まだ21歳だからだ。もちろん若いだけでは次につながらない。若くて、いや若いけれど、この初めてのオリンピックに「絶対に勝ちたい。金のメダルを首に提げたい」と本心から念じていたからだ。これが「最初のオリンピックだから、まずは入賞を」と無難な目標を定めていたら、仮に、同じタイムで同じ順位に終わったとしても次の栄光はない。

近年のサッカー日本代表の歩みは、まさに「次につながった」歴史でもある。

オフト監督が、基本戦術を叩き込み、94年W杯予選の突破寸前まで導く。ドーハの悲劇に泣くも「韓国や中国に簡単に負けない」ところまでチームを引き上げた。

ついで、絶体絶命の危機で重責を引き継いだ岡田監督が、98年大会予選の土壇場でイランに劇的に勝つ。ジョホールバルの奇跡。初出場の本大会では、強豪アルゼンチンとクロアチアに守備主体の接戦勝負を挑み、結果は、ともに0ー1の惜敗。実力で劣る最終戦のジャマイカには1-2で敗れた。このとき、勝てそうなジャマイカにのみ焦点を絞り、前の2試合に「勝たなくても構わぬ」という態度で臨んでいたら、絶対に「次」はなかった。僅差で負けて、日本サッカー界全体に自信がついたのである。

そして自国開催の前回大会では、トルシエ監督の数年にわたる若手発掘・育成・強化が実り、簡潔でブレのない戦術で、グループリーグ突破を遂げた。まったく大会ごとに順番を踏んでいる。ただし、それも、眼前の試合に「絶対に勝つ」意志の蓄積された反映なのだった。

本年開催のドイツ大会の予選では、とうとう拙い試合をしながらもアジアでは負けない域に達してしまう。過去の積み上げ、いわば「サッカー国力」増強のおかげである。本大会でブラジルやクロアチアと魂の勝負ができるかが、また「次」を占うはずだ。

ほかの競技を例に記したが、当然、ラグビーも同じである。

ジャパンは、91年W杯以降、強豪国と本気で勝負するための戦術の創造・人材起用・周到な準備を怠ってきた。03年大会ではスコットランドおよびフランスと感激の接戦を演じたが、では準備段階で本当に両国を倒すための焦点を絞れていたかといえば、それは違う。

なにより本気で、打倒・強豪国のため準備に情熱を傾けること、その積み重ねが、もし負けても、うまく運ばなくても、それでも「次へつながる」ための条件なのである。

その意味で、現在のエリサルド監督(ではなくヘッドコーチが正式らしいが)が「ウェールズとオーストラリアを目標とするのは現実的でない」と就任時に言い切ってしまっているのは残念であり、また、ここまでのジャパンが「標的を高く設定してこなかった」ツケのような気もする。

日本選手権の1回戦で、タマリバが早稲田大学に善戦した。7-47。前半は0-7である。
終盤、差を広げられたが、あれは「力の劣る側が本気で勝ちにいって、ついに勝てないと分かった」落胆のもたらす崩れ方であり、いわゆる「集中力が切れた」のとは少し異なる。

終了後、勤め人や大学院生が主体のタマリバの面々は落ち込み、泣いていた。すると記者席で隣の英字紙の外国人記者が聞いてきた。

「なぜ彼らは泣いているのか。こんなに見事な試合をしたのに」

こいつら正真正銘のラグビー馬鹿なんだよ。世界に誇るべきね。そう答えようかと思ったが、よしておいた。タマリバのメンバーは、1年間、前回もここで当たった早稲田を倒す可能性を追い求めた。そりゃあ簡単ではない。でも、だから、より強くなった相手との差を1年前より詰められた。前回も勝負に出たから「次」はあった。今回も「次」はある。あれは本物の悔し泣きなのだよ…と、これだけの内容を説明する英語力に自信がなかったのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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