コラム「友情と尊敬」

第66回「世界は敵では埋まっていない」 藤島 大

電気街交差点での陰惨な出来事、あの犯人の携帯電話ブログへの寒々しい書き込みが新聞各紙に細かく紹介されていた。

世界のすべてが敵であるような心のありようがイライラと書き送られている。読んでみて、青春の一時期に「よきコーチ」と出会えていれば、と、思った。

あなたを「全面肯定」してくれるコーチと。

以下、事件とは直接の関係のない個人的な話である。おそらく細部では記憶違いもあるので仮のストーリーと受け取られて構わない。

高校のコーチをしているころ、秋の花園予選で強豪私立に挑んで惜しくも敗れると、ある3年生部員がそのまま家を出た。失踪したのである。母親からの連絡を受けて、どうやら関西の都市へ向かったのだとわかった。さっそく、そこに暮らす、筆者の大学ラグビー部の後輩に電話をして、うっすらとヒントがあったので、捜索を頼んだ。

「それならクルマ一台出しましょう」

家出の人間とは何の面識ないのに、そんな即答がありがたかった。

ほどなく発見、帰京する。学校の最寄駅前の古い喫茶店でじっくり話した。もう時効だが、わがコーチ生活で高校生にビールをすすめたのは、あれが最初で最後である。あのときは、ふたりで「悪事」を共有したかった。

「僕はラグビーをするために高校生活を送ってきたので、負けたら、もう学校を辞めて働けばいいんだと…」

入学時の成績はトップ級だったらしい。もともと勉強はできる。しかしラグビーに夢中で、まったく授業や受験に興味を持たず、成績は下降した。グラウンドでも教室でもないところに、なにがしかの鬱屈の理由はあった。

しかし、その地方都市へ向かったのは、そこにある大学のラグビー部に一学年上の先輩が進んでいたからである。潜在意識では、一緒にラグビーをしたいのではないか。そう直感して「お前、そこの大学、受けてみろ。そしてラグビー部に入れ」と言った。

そろそろ11月だったはずだが、家出少年は、そこから猛勉強をした。高校に入って初めて。入学の簡単ではなさそうな大学の入学試験をいわば「猛追」した。補欠合格、しかし、縁がなく欠員補充はかからなかった、と聞いた気がする。結局、別の道へ進み、いま立派な社会人である。あの2カ月強の猛勉強は、絶対、その後に生きている。

そもそも人を殺める行為と家出では、まったく次元は違う。また筆者が「よきコーチだった」と自慢したいのでもない。あれくらいのこと、ほとんどのコーチならできる。

述べたいのはひとつ。勉強を放棄して、母親に反抗、家出をしてしまう個性を、小指の先ほども否定する気にはなれなかった。その実感だけだ。

なぜなら、すでにグラウンドという空間で、その人間の美しさ、素直さ、純粋性、負けん気、繊細さ、ユーモアの精神、不器用さ、などなどを知ってしまっており、そのすべてはラグビー部の財産だったからである。しばしば欠点の裏返しは美徳でもある。不器用だから、よく考え、直情なので活力があり、気が弱いから思慮深い。

もちろん、いかに、よきコーチであっても、人生のすべての局面で、すべての人間を全面肯定はできない。たとえば会社で、とある部下ばかりが「本日も出社にいたらず」を繰り返せば、いかに人格者の上司でも人格を否定する。たまたま酒場のカウンターで隣り合わせた酔客といちいち親交は結べない。疲れていれば、話しかけられてもつれなくする。

しかし、青春のグラウンドとミーティング部屋という限定された空間と時間であれば全面肯定はできる。しなくてはならない。変な話、卒業したら名前を忘れてしまってもよい。いま、そこにいる人間のすべてを全精力を傾けて肯定する。愛する。それがコーチだ。

人生は続く。しかし青春の熱情は閉じてもいる。その空間と時間を生きるあいだ、自分のすべてを、独自性を、根源において認めてくれる。そんな「オトナ」と出会うことは幸福である。そして、そうした使命を果たせる現役コーチのみなさんも幸福なのである。

まわりは「みんな敵」と思うような人間をつくらない。そのためにラグビーはある。
みんなを愛する男、駅前で禁断のビールを一緒に飲んだ、背番号13、トミー、元気ですか。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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