コラム「友情と尊敬」

第60回「堰を切るな」 藤島 大

関東学院大学ラグビー部員の不祥事については「連帯責任に反対」の意見を、すでに新聞に書いたので、ここでは触れない。「監督責任は重い。しかし部員については事件に無関係であるなら公式戦に出場すべき」。それが筆者の結論だ。あえて簡単に「人権問題」としてとらえたかった。比喩で述べるなら、この世で最高の監督にも代わりはいるが、4年生部員の青春に代わりはない。きれいごとかもしれないが、きれいごとを否定される社会は悲しいものだ。

さて、このコラムは、あの事件の発覚より先に、実は少しだけ書き始めていた。ちょうど大学ラグビーのあり方を考えていた。以下がそうである。

直感に近いのだけれど、大学ラグビーは進む道の選択を迫られている。やせガマンを続けられるか、堰を切ったように「小さなプロ化」へ向かうのか。また条件に恵まれたクラブと、そうでないクラブの「格差」は絶望的に広がるのか。

先に誤解なきように述べると、ここでの「小さなプロ化」とは、海外にまで広がりつつある「選手獲得競争」や「学生への金銭の介在」という要素だけではなく、つまり青春のあり方の問題と関わってくる。シーズンオフがある程度は確保されて、ラグビーのサークルとは異なる大学の仲間や師と交流を持ち、アカデミズム、さらには映画や音楽などサブカルチャーにも近づき、まあ、とてもキザな言葉を用いれば「大学生としての教養」を自然に身につける余裕はあるのだろうか。そう心配になってくるのだ。

昔のラグビー部員が文武両道かと問われれば、いわゆる強豪校に関しては、例外的存在を除けばノーに近かったと言ってしまえる。ラグビー活動を終えてから、司法試験に受かったり、海外留学でアカデミズムに没頭した例なら具体的に知っているが、大学日本一をめざす過程と「文」が完全に一致していたかといえば、そうではない。

早稲田大学ラグビー部に在籍した筆者も文句なしの留年を経験しており、偉そうに「勉強しろよ」と説教できる立場にはまったくない。ここで主張したいのは、そうではなく、つまり主観的にも、もしかしたら客観的にすら「ラグビー漬け」の日々を送りつつも、前述のごとく、シーズンオフの確保やクラブの雰囲気などの環境によって、自然に「ある程度の教養」に接することができるか、指導者もそのことを奨励する余裕を持てているのか、そこが気がかりなのである。

かつてとは異なり、昨今では職業生活は単線の「終身雇用」から、多少なりとも複線型に変化してきた。その意味では、ある時期に、あることに集中する「人生の戦略」は立てやすくなった。学生時代はラグビーで日本一をめざし、その後、数年間でアカデミズムをきわめる…というような生き方は以前より認められている。

だからこそ「ラグビー漬け」の程度は問われるのである。あとで別の分野に踏み出す際に、その土台となる「教養」や「常識」を、何度でも繰り返すが「自然に」獲得できるか、完全には吸収できなくとも、感じ取れるか。ここが大切な気がする。

こういう話題となると、やれワセダが、やれカントーが、と、どうしても、高校の才能がどのように各校へ集うかに関心が集まる。この領域にも、ある種の偏りはある。都市近郊の特定の私学から特定の幾つかの大学に、推薦など従来の筆記試験とは別の方法で人材がこぞって進むと、もちろん進路選択の自由を前提とするのだけれど、どこかアンフェアな気がして、地方の高校で本当は変わらぬ能力を持ちながら、せっせと受験のための予備校に通う無名の者たちにエールを送りたくなる。

なるほど花園取材をしていても、はじめからコースが決まっているような話ばかりで嫌な感じだ。推薦の資格を得るために、各種選抜チームを狙う、あるいは狙わせるというようなことも公然と語られる。よほど気をつけないとセレクションそのものが「利権」の温床になりかねない。ここは将来的にはジャーナリズムによってウォッチされなくてはならないだろう。

ただし、どういうカタチで、どこから入学するかは、コーチング、もっと述べれば教育の本質ではない。入ってから伸ばし育てるのが「学校」というものだ。その自信を指導者が持てているのかが根幹の問題だ。入ったあとが勝負なのである。

大学生が大学生であるためには、どのあたりで線を引けばよいのか。どのくらいの期間のシーズンオフが必要か。もっと現場で研究したほうがよい。一部強豪を除く大半の大学ラグビー部には関係の薄い話かもしれない。でもチャンピオンシップをめざす大学生であっても、あっけなく「小さなプロ」と化しては、日本ラグビーの将来は暗い。また、強豪の次の層の大学が、高校で起きている「二極分化(中堅校の弱体化により一部強豪校のみが突出する)」の影響で、よき人材を得られずチャンピオンシップから降りてしまうのもこわい。こちらの「格差」をめぐっても熟慮を始めるべきだ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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