コラム「友情と尊敬」

第14回「宇宙人とシンビン」 藤島 大

先日、イングランドとフランスのテストマッチがホーム&アウェーで行われた。
目前に迫ったワールドカップ、その調整のための季節外れの特別試合である。
いささか考えさせられることがあった。

まず、あのジャージィーである。どちらも同じメーカーの同じモデルをまとっていた。
Jスカイスポーツの中継で確認された方なら、うなずいていただけると思う。
そもそも「ジャージィー」の表記が正しいのか。学芸会の宇宙人のようなピロピロ・ペラペラの素材は、これでもかと上体に張りつき、襟の痕跡も消された丸首は、ひと昔前のサッカーのシャツのようだ。どこかのコメディアン演じる悪魔の衣装にも似てなくはなかった。

本欄もスポーツ・メーカーのページに掲載されているので、こうした話題には本来は慎重を期すべきなのだが、どうしても以下の感想を抑えることはできなかった。
「これ、本当にいいんですか」
なるほど相手につかまれない利点はありそうだ。確かに、フランスの選手の指の先が滑るような場面は散見された。なにしろスクラムのパックも難儀しているのだから。

さて、これをテクノロジーの進歩ととらえるべきなのか。
フランス語なら「ノン」と言いたい。本欄筆者は「ただのマーケティング」と見た。物珍しい何かを世に出して既得権を奪うような。

本当に深く考えて、なお「学芸会の宇宙人」は必要なのか。これは襟なしジャージィも同じなのだが、本当に本当にそのほうがいいのだろうか。襟をつかまれて倒され、優勝を逃したチームは実在するのか。あるいは、外されたタックルはジャージィーの素材のせいなのか。

誰にも、どのチームにも、襟なしのジャージィーを選ぶ自由はある。
進取の精神を発揮することでチーム強化につなげるといったケースもありえただろう。あれはあれであってもいい。問題は「深く考えているか」である。みんながそうなるのが少し不思議なのだ。
この列島には「ひとつの方向へ大洪水」の風潮が確かに存在する。トップリーグ、ひとつくらい古来の素材とクラシックなデザインのチームが「あってもいい」はずだ。

クラシックなジャージィーは、実は、ラグビーの誇る最大級の文化である。イタリア最南端、レッジョ・デイ・カラブリアを訪れた時、あのラグビーの「ラ」の字もないカルチョ(サッカー)の都市にも、胸にシダの葉の黒衣を着て歩く中年男がいた。
日本の雑踏でもそうだろう。セービングともハイパントとも無縁そうな人物が、さっそうと襟を立てて闊歩していたりする。個人的には、ファッションの分野で再びラグビー・ジャージィーが注目される予感もする。

しかし、しだいに「宇宙人」が芝の上を席巻したら、そうでなくとも薄い素材の襟なしばかりになったのなら、地球上のいたる場所で愛されたファッションは、やがて「かつてのラグビーのユニフォームにアイデアを得たシャツ」と認識されるだろう。
本当にいいんですか。

もうひとつフランス-イングランドの第2戦で引っかかったのが、腕のパックを欠いた荒々しいタックルへの手厳しいイエローカードである。それはそれで正しいのだろうが、明らかな悪意ではなく「勢い余って」に見えなくもなかった。だがレフェリングに幅はない。タッチジャッジの指摘を受けて、ただちに一時退場は課せられた。

そうした昨今の「危険=即処分」キャンペーンの背景に、どうも「ラグビー文化の喪失」がからんでいる気がしてならない。

つまりラグビーの誇りであった「紳士(淑女)たる選手への信頼」が薄れた。もう、かつてのような、相手やレフェリーへの尊敬は失われつつある。そのことに気づいた審判など統括組織の側が「放置すれば無秩序なジャングルと化す」とばかり微罪も大罪もひとまとめに罰する。これはサッカーの現実と同じだ。

サッカーのイエローやレッドカードの対象に「程度」は考慮されない。1ミリでもつま先が相手をつつけば「暴行」で一発退場である。ほとんど機械的だ。ラグビー出身の身には「こんなので退場」と思われる例は少なくない。他方、選手の側にうわべの「審判への尊敬」すらありはしない。

際限なく「テクノロジー」とやらを駆使してタックルの手を滑らせるのは、裸にオイルを塗ったレスリングにも似ている。根本が間違っているのだ。オートマティックな黄や赤のカード連発は「フェア」の形骸化の兆候だ。

ラグビーが余裕をなくしつつある。もうすぐ始まるワールドカップでは、なんらかのトラブルが発生するのではないか(ユニフォームが次々と破れて裸で戦うとか、退場者続出で7人制が始まるとか)。
ただし、それも万事の行き過ぎに歯止めをかける契機となるのなら必要悪なのかもしれない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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