コラム「友情と尊敬」

第25回「存分に走れ」 藤島 大

ヒロシマ。ナガサキ。敗戦の日。夏は、8月は、スポーツライターにも戦争とその残酷について考えさせる。あの無責任な計画のもたらす無謀な戦いに命を落とした若者の無念が想像されてしかたがないのだ。

いまいちど存分に楕円の球を追いかけたかったろう。腰の横に「ビフテキ」をこしらえて、耳をカリフラワーにしたかったろう。再びラグビーに青春の熱をぶつけたかったろう。

1945年12月16日。広島総合体練場でラグビーの試合が行われた。「広島OBー三菱工作」。あの惨い「ピカドン」から約4ヶ月、あってはならぬ核兵器使用で、すべて焼き尽くされ、つらい後遺症の残った広島の地で、もうラグビーは始まった。26-6でオールドボーイズの勝利。これが地元紙「中国新聞」に掲載された敗戦の年の唯一のスポーツ記録である。ヒロシマのスポーツ復興の最初の一歩はラグビーだった。みな、スポーツを、ラグビーを、どんなに、ひもじかろうと楽しめる自由を噛みしめたことだろう。

戦争をするためにラグビーをしてはならない。戦争を許すためにもラグビーをしてはならない。戦争をしないためにラグビーはあるのだ。こんなことを仰々しく書いたのでは、いささか青臭いとたしなめられるだろうか。ちょっと恥ずかしいよと。そうではないと思う。傷つきやすく弱々しいかもしれぬ正論を表明できない社会は不幸である。

ラグビーに打ち込むと体が丈夫になる。あるいはそうだろう。しかし、そんなことはさして重要ではない。社会に出ればわかる。仕事の体力とスポーツのそれは別物なのである。案外、女子大学で演劇の裏方をしてましたというような人間のほうが徹夜続きに強かったりもする。

若き年月、真剣勝負のラグビーに身を焦がして、最も幸福なのは、つまり「戦争をしない力」の一端を担えるからである。

高い目標を掲げて、仲間とともに邁進していく。肉体を鍛え、集中力を磨く。一流をめざすからこそ、その過程で軋轢は生じる。妥協はできない。ラグビーという枠の内側に気圧はぐんぐん上がる。空気は張り詰める。すると、そこに生まれる「ズル」や「インチキ」は、ただちに浮かび上がる。また、そうしたズルやインチキを感知する力は養われる。

勝つ。優勝する。試合に出る。切実な目標がある。そこに「ウソ」の居場所はない。目標が高ければ高いほど衝突は起こる。勝たなくてはならないのだから妥協は許されない。なんとか解決しようと力を尽くす。とことん話し合い、徹底的に悩む。机の上ではかなわぬ本当の知性的行動である。

ズルを素早く見抜く。単純な右か左かには収まらない、もっと生々しく複雑にからみあった難題をも解決する能力。それこそが戦争をしない、させない力なのである。

あなたが真剣勝負のラグビーを生きたならば、必ず「人を見る目」は培われている。表向き、正論を述べても、転がる球に身を投げ出さぬ者、タックルにいくふりをして仲間のコースに逃がす者、ラックに入るのが面倒だから「本当に球をもらう気はない」のにラインに残る者は、どうしたって修羅場では信じられない。そういう経験を積むうちに人を見る目は身につく。この政治家はおかしいぞ。この学者はうわべだけだ。この経済人はアンフェアじゃないか。このジャーナリストは誇りを欠いている。その「目」が戦争を防ぐのだと信じたい。根底には「真剣なラグビーにおいて汚いことをするな」の感覚がある。

ひとつの道をきわめれば、その実感を軸に、かえってさまざまなことがわかる。
ラグビーの壮大な価値のひとつだ。「練習ばかりで大丈夫か」。気持ちはわかる。しかし大丈夫なのである。クラブ活動をしない「練習のない者」が充実した時間を過ごしているか。たまの練習の休み、あっという間に時は過ぎる。ああいうふうに学生時代が終わるのではないか。時間を長く感じられるのは青春の特権である。逆から考えれば「練習ばかり」でも勉学や恋愛や読書くらいはできる。どうか存分に走れ。戦争をしないために。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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