コラム「友情と尊敬」

第54回「隣のライバル」 藤島 大

試合後の選手の言葉が明晰になった。チームに芯が通ったからだ。指導者を信頼できているからでもある。

ジャパンが厳冬の季節を終え、まだ本当の春は遠くても、ともかく陽光へ向かって駆け出した。82―0。スコアそのものの意味は薄い。若手の多い韓国代表が弱かったからだ。弱いだけでなく覇気にも欠けていた。

ジャパンの収穫は「これで勝負していく」というイメージをチームまるごと共有できたところにある。その雰囲気は観客席にも伝わった。昨年の春までは、ここが明快でなく、ただ道を歩いているような試合が続いていた。

完成度を別にすれば、故・宿沢広朗監督の率いた1991年ワールドカップのジャパン以来、ひさしぶりに
「日本のラグビーのイメージの共有」が図られた印象だ。03年W杯後の迷走で時間不足なのは何とも悔しいが、J・Kことジョン・カーワンには、このまま迷わず突っ走ってもらいたい。ラインアウトのテンポ、ペナルティーをとられた直後のFWの素早い戻りに希望の道筋は見えていた。「こんな試合内容なら昔のジャパンのジャージーを着てほしいな」と感じた。これ、一定の年齢より上のファンにとっては「ほめ言葉」なのである。

ジャパンについては、これからの連戦で、さらに課題も見つかるだろう。以下、ここに書きたいのは
「近隣の好敵手の不在」についてである。

過度の敵愾心は人間を卑屈にするが、好敵手なら必要である。
ラグビーの日本代表には、本来ならば韓国というライバルが存在しなくてはならない。

かつて人気や普及はマイナーでも、韓国ラグビーは、ジャパンの脅威でありえた。
独特のエリート主義で、公立中学で素質を見込まれた者が、強豪高校、名門大学へと進み、「尚武」と呼ばれる軍の体育組織などで鍛えに鍛えられる。
各界へ人材を輩出してきたことで社会的にも認められ、そういえば盧泰愚(ノ・テウ)元大統領も陸軍士官学校ラグビー部出身だった。

戦績も証明している。82(延長サドンデス)、86、88、90、02年のアジア大会、98、02年のアジア競技会ではジャパンを破っている。ベストの準備と布陣をおこたる日本協会の「アジア軽視」が根底にあったとはいえ、韓国代表は、キック力、タックル、カウンター攻撃の切れ味にすぐれ、いつでも堂々たる戦いを演じてきた。

その韓国に元気がない。あまりにもない。冒頭に触れた4月22日の試合、攻守に引き締まったジャパンに比べ、以前はあんなに鋭かったタックルは雨に湿った紙のようで、とうとう後半の後半からは「戦意喪失」のありさまだった。

試合後の会見で、パク・キヘン(以下カタカナ表示)監督に「敗れても観客に感銘を与えてきた韓国ラグビーなのに、きょうは戦意喪失したように見えた」と問うた。この春から指揮をとる新監督は言った。

「若い選手たちの気持ちが折れて試合を放棄したようになったのは事実。残念です」

日本のNECでプレー経験のあるムン・ヨンチャン・コーチと話せた。さぞや嘆いているだろうと思ったら、日本語での後進たちへの評価は意外に優しかった。

「まだまだ精神的な面で力は出せない。若いしケガ人もいたから仕方ないでしょう。これからよくなりますよ」

そして、こんな情報を教えてくれた。

「2008年からは、外国人を入れますよ。反対の声もあったけど、日本に勝つためには仕方がないと認められました」

オーストラリアやニュージーランド人を代表へ加える方針だそうである。受け入れ先や財政面で簡単ではなかろうが、ともかく韓国ラグビーの方針転換は事実だろう。ただし、個人的な意見としては、その前に「いまいる選手をより鍛え、いまある環境をより整備する」のが先決にも思えた。ソウル郊外のメインのラグビー場は老朽が進み、シャワー施設もない。国内春季リーグも浦項(ポハン)鋼板と三星SDIがメンバー不足などで辞退した。

日本協会は、アジアのラグビー普及と発展に長らく取り組んでこなかった。韓国協会も過去の実績もあって、世界の情報の集まる日本との連携に消極的だった。W杯出場を争う両国がとたんに手を携えて代表強化にあたるのは難しい。しかし、このままでは「好敵手」の関係はついえる。ますます差は開く。「民間レベル」の交流を長期的な東アジア地域のラグビー発展へ結びつける知恵をしぼるべきだ。

一義的には、引き離された韓国の問題だ。ただ日本も動かなくては後年に響く。

5月13日、ソウルで早稲田大学ー高麗大学の試合が行われる。どうか早稲田の学生はハングルを猛勉強して、隣国の同世代と語り明かしてほしい。友情を築いてほしい。そういうことから始まるような気もする。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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