コラム「友情と尊敬」

第103回「愛の軌跡」 藤島 大

まずインターネット上に残る映像で確かめてほしい。新日鐵釜石の背番号10のパスを。ふんわり、ボールは何か特別な生き物であるかのように浮き、味方に優しく、敵にとっては急所をえぐられるみたいに残酷に宙を走る。それが生卵であっても殻は絶対に割れないだろう。そうなのに、ただ柔らかいのでなく強さも感じさせるところが憎かった。

日本ラグビーの伝説、松尾雄治のパスは別格だった。

あれからざっと30年、いまシーズン終盤、あの楕円球の軌跡は絶滅の危機にある。大学ラグビーからはほぼ消えた。決定機にわずかに後方へそれる。食い込むようなスピンのパスが慣性をさまたげる。今季も何度そんな場面を目にしたことか。

トップリーグにはわずかに名人が残存している。ひとり挙げるなら、サントリーの世界的名手、SHのフーリー・デュプレアである。その球さばきは群を抜いている。「パスが立っている」のだ。だから受け手がキャッチしやすく扱いやすい。

いい選手は短いパスでわかる。人間、遠くに投げるときには気合いも入る。難しい分、注意力も深まる。つまり「いいパスを投げよう」と意識する。しかし、すぐそこにいる仲間に放るに際にしては、どうしても気がゆるむ。ここで差がつくのだ。サッカーのキーパーへのバックパスとちょっと似ている。

デュプレアのパスは、こみいった連続攻撃のさなかにも、ゆったりとしたモールのあとでも、素早く投げても、相手にからまれそうになっても、常に優しく柔らかい。受け手に達する直前にボールがすーっと縦になる。前任者のやはり世界の顔、ジョージ・グレーガンももちろん上手だったが、もっとビュンと投げつける感じだった。

昨年度のトップリーグ決勝後、本人に聞いた。パス、立ってますよね? とりやすそうです。スプリングボクスの元重鎮は真剣な顔で答えた。

「小さいころのコーチにいつも言われました。受けやすいパスを投げなさいと。右に投げるときは左手、左なら右手を使うのがコツかもしれません」

細部がいきなり核心と化す。ラグビーとはそういうものだ。

このコラムの筆者の高校・大学のコーチ時代のマントラは「パスは愛だ」だった。早稲田大学ラグビー部時代、当時の辰野登志夫コーチに何十回もそう諭された。きっと大昔から東伏見のグラウンドに伝承された真理だったはずだ。それを自分もまたしつこく選手たちに繰り返した。

パスを受ける人間を少しでも敵陣ゴールポストに向ける軌道を心がける。人間は人間らしいリズムのパスを受けるときに人間としての力が引き出される。ボールの動きに体が自然に引っ張られるのが最良だ。だから、ビュンでなく、ふわっ。グレーガンでなく松尾雄治!

先日、かつて指導した国立高校ラグビー部の集まりがあって、ざっと20年ぶりに、テツヤに会った。元気のいいCTBだった。パーティー会場の混雑をかきわけ、懐かしい声でこう語りかけてきた。

「愛のパス、なかなかできませんでした」

うれしかった。覚えていてくれたんだ。照れ隠しに「人生もまた愛のパスなのさ」と意味不明のことを言ってしまった。テツヤは、手作り家具の職人になり、家族とテレビのない生活をしているそうだ。それは柔らかいのに強いパスと同じ生き方のようでもある。

我が師、辰野コーチの「パスは愛や」の声の調子、抑揚、すべてそっくりに真似できる。そういえば、商社マンだったはずのこの人のもうひとつの口ぐせは「君たちはプロや。プロらしくせい」だった。いわく「親の仕送りで暮らし、もっぱら練習に明け暮れている以上、趣味の領域を逸脱している」。大半が無名の高校から受験勉強して入ったガリガリ鈍足の我々部員にはピンとこないところもあったが、もし自分がまた学生のコーチをしたら同じことを言うかもしれない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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