コラム「友情と尊敬」

第23回「勝って、なお心配」 藤島 大

ジャパンについて書くのは気が重い。戦争報道においては、ジャーナリズムが自国の軍隊を「我が軍」と表現するのは公正を欠くという見解が存在する。英国BBC放送などはその規範を厳格に守っている。個人的には同感である。ただしスポーツ、この場合、ラグビーの世界ではなんとか「我が軍」も許されるだろう。つまり本コラム筆者も「我がジャパン」の勝利を無条件に望んでいる。

もっともジャーナリズムには「火のないところに煙は立たず」の「火」を見つける役目もある。できれば第一発見者でありたい。するとジャパンの現実を批評しなくてはならない。ここが悩ましい。「駄目だ」と書いて、次の試合でジャパンが惨めに負けると「ほら言ったとおり」という曲がった満足感に襲われそうになる。とても嫌だ。

ジャパンがカナダに勝った。「スーパーパワーズカップ」優勝を果たした。めでたい。つい2週間前には韓国と引き分けている。「なんたる落差」と記したいところだが、実はそう思えなかった。ふたつの試合には共通の課題が示されていた。

たまたま日本A代表のニュージーランド遠征でのNZU戦のビデオテープを入手できた。12ー99の屈辱の惨敗である。腕から先の高いタックルを現地コメンテイターは「ベリー・プア(軟弱きわまる)」と何回も言った。先発に9人のジャパンを含むチームの防御の拙さ、ピンチでの反応の鈍さは、ただ「気迫欠如(そこも深刻だが)」ばかりではなく「力」で上回った場合のみ機能できる「強者の論理」の危うさを示していた。花園からトップリーグまでをおおむね覆う論理の。カナダ戦の奮起より、むしろA代表の露呈した現実こそが詳細に分析されるべきだと信じる。もちろんトップリーグの象徴する「力」は否定できない。地力はついた。ただ、それは「大きく前へ出られた時」に威力を発揮する。カナダ戦もそうだった。高度なフィットネスで果敢に攻められると、オセロ盤の反転みたいに弱者に変わる。

以下、3年後のワールドカップ(W杯)に歴史を刻まねばならぬジャパンについて、ささやかな意見を述べてしまう。今後、「豹変」「てのひら返し」とならぬよう自分を戒める意味もある。優勝直後の原稿にはふさわしくないのは承知だ。

まだベルリンの壁があった1987年の第1回W杯からジャパンをカバーしてきた身にとって、つくづく思い知されるのは「挑戦者の最大の敵は時間」という厳粛きわまる事実である。多くの公立高校指導者なら理解してもらえるだろう。普通の学校で強豪私立をやっつけるのは大変なのだ。こちらが完璧で向こうが乱れて(エースが風邪、油断)やっと手が届く。時間を有効に使うには、到達の確固たるイメージがなくてはならない。そこから逆算してチームをつくる。一般的な基本技術ではなく、目標の試合に採用する戦法に応じた特殊な基本技術を磨く。選手選考も同じ。そうでなくては間に合わない。奇をてらうサーカス的ラグビーが思い浮かぶが、そうではない。どんな戦法も突き詰めればオーソドックスである。「奇策を奇策とせず」。リスクから逃げない。そのためには時間がかかる。

3年後のW杯の標的は予選組でぶつかるウェールズだろう。時差少なく温暖な中立地の豪州タウンズビル(前回大会)でスコットランドと戦った例とは異なり、こんどは敵の土俵での激突、どうしたって簡単な壁ではありえない。ウェールズに勝つ。善戦でなく勝つ。勝とうとする。するとカナダ戦の奮闘すら不安になってくる。法政大学3年生、新星、SO森田恭平の伸びのあるキックすらも。

萩本光威新監督は「地域戦略」を強調する。「速攻・展開だけがラグビーにあらず」は信念だ。これは昨年のW杯でジャパンが選択した方針でもあった。結論を述べる。「現状分析としては正しい」。そして「目的達成の観点からは誤り」である。

フィットネスに欠け、突破とサポートの技術をきわめられなければ「ひたすら展開」は墓穴を掘る。自陣でのターンオーバーの餌食だ。その意味で現状分析として間違っていない。事実、W杯では大崩れを避けられた。多くの選手の踏ん張りもあって、試合はひとまず引き締まった。しかし、現状分析の「現状」がそもそも「勝利(善戦でなく)」の可能性には結びついていなかった。

スコットランドを「本当の本当にまずい」という領域まで追い込んだか。残念、それよりは手前だった。敗北の恐怖を与えるためには「球を奪えばどこからでも攻撃を始める意欲と能力」と「空間つぶしの極度のプレス防御」と「キックを追いまくり戻りまくる組織構築」が求められる。3要素は循環している。当然、技術と反応速度と体力を身につけなくてはならない。「言うは易し」で、へたをすれば惨敗だ。ただ、あくまでも勝利をめざすか、あきらめて海外規範の後追いにとどまるかは当事者の「覚悟と使命」の問題だ。

チームづくり=時間との戦いの視点に立つ。もしウェールズ戦勝利の可能性を捨てないならば、先に「独自性追求」に手をつけるべきだ。W杯本番では「ひたすら展開」はできないだろう。しかし、その基本的能力と意志を肉体化しておかないと、相手はちっともこわくない。走れる。球を活発に動かせる。何度でも前へ出て突き刺される。絶対に相手より先にスクラム・ラインアウト・ペナルティー後の攻防を仕掛けられる。そういうチームをこしらえて、W杯が近づいたなら「地域戦略」「時にゆっくり」「パワー突進型選手=もう少し走れるバツベイ=編入」を考える。選手選考基準は「トップリーグで大活躍」にとどまってはなるまい。

現実の得点源は敵陣セットからのサインプレーが主体となるはずだ。でも初めから「あわてずキックを」では予告された敗北の記録は必至だ。当然、相手の研究が進めば「一本調子」では敗れる。しかし、少なくとも相手に「ジャパンは特別だ」と構えさせなくてはならない。敵が先に動く。その時点で半歩リードなのだから。現在の選手選考の基準とバランス(ひとりずつは素敵な才能だ)と戦法構築で、ウェールズ人を失意の底に追い込めるかは疑問だ。

萩本監督の一連の発言は頼もしい。「自分のチームよりジャパン優先」も「トップリーグはまだまだ甘い」も「いたずらに海外追従しない」もいちいち納得できる。素直な感情表現もなんだか心地よい。就任からわずか、本稿で主張したいのは指揮官の能力ではなく、日本ラグビー界、具体的には協会強化体制の「金星達成」の根本のイメージである。「現状分析」と「現状認識」の「現状」を大きく変化させる意志である。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

過去のコラム