コラム「友情と尊敬」

第122回「割り切れぬから本当」 藤島 大

自分で「解説」を書いたのだから利害の当事者ではある。でも長い付き合いの本欄の読者に甘えて、この文庫本を薦めたい。買って、読んでください。

『闘争の倫理』(鉄筆文庫)。元日本代表の名将、大西鐵之祐の著である。1987年に発刊され、このほど鉄のごとき意思を抱く小さな出版社が文庫で復刻した。定価1500円+税。安くはない。でも価値に比して良心的だ。かつて福岡県立修猷館高校、早稲田大学で鉄のフランカー、大手出版社を辞して、鉄筆創業、渡辺浩章さんの「若い人にも手にしやすいように」の志が、質量ともに重い一冊を再び世に出した。

哲学。文化。教育。それぞれがスポーツとの関連で述べられる。具体的な「チーム構築」の章は、すべてのコーチの必読と信じる。「闘争の倫理」の章には「戦争をしないためにラグビーをする」思考の根幹が語られる。このコラムではラグビー、スポーツそのものについて紹介したい。ページを深く覆うのは、いわば「闘争の真ん中の純粋性」である。その境地を知った者の幸福と責任と言い変えてもよい。たとえば、激闘にも一線を踏み越えない「フェアネス」を獲得した両チームがぶつかったあと、両者の満足があり、そこに「詩がわく」と聞き手に問われて、著者はこう答えている。

「詩というよりも美じゃないですか。ぼくはそれを青春の純情の極致と言っているんです。青春時代にしか持つことのできないロマンチックなプラトニックな恋みたいな純情の極致。その純粋なものの満足感じゃないですかね」

若者の特権でもある。この場所から人間の行動、さらには社会を考察していく。闘争的スポーツに打ち込み、好敵手とのまさに闘争において、つかんだ境地は、まぎれもなく本当の出来事なだけに理屈では割り切れない。

集団の真価についても語られる。

「人間の精神というのはグループをつくってある目標をつくり、目標達成のために協力してやっていくときに初めて進歩することができるんだ」

しかし、どうしても「教科書を教えていれば子供たちは成長するんだ」という風潮は強く、また同様に「坐禅を組んでいれば精神的に成長していくんだ」とも考えられがちだ。本当はそれでは足らない。理性と黙考を超えるチーム競技の「極致」としてのラグビーの有する機能である。

「遊びと労働とのつなぎをやるのがスポーツだと思うんです」

この一言も興味深い。楽しみと苦行が溶け合う、ということか。概略、こう続く。スポーツの練習の毎日がいかに苦しくても、それは奴隷の苦しみとは違う。みずからの意思で選んだ鍛練の先には勝利の充足が待っている。

「スポーツは現世利益のようなものは何もないけれど、それにほれたやつがいいものをつかむ」

ライクでなくラブ。大西鐵之祐の口ぐせだった。そして、この不朽のコーチにして社会学者にして哲学の考察者は、学究の最後の最後まで迷っていた。いよいよ我欲を超越、「ここだと思って自由の域にいるとき」に、なお、「絶対に勝つんだという、そんなものがなければならないような気がするのです。そうでないと負ける」。勝ちたいという欲を断って、それでも勝利をとことん追求する。ここにも簡単に割り切れぬ領域がある。

そうなのだ。本当のことは「際(きわ)」にひそんでいる。それを言葉にするのは難しい。「全653ページ。ちょっと価格の高い文庫本」のゆえんである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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