コラム「友情と尊敬」

第5回「キャプテン。それもラグビーのキャプテン」 藤島 大

 終了の鉄笛が響くと、両雄は、芝の上で何事かを話し合った。
 山下大悟と伊藤太進。
 それぞれ早稲田と明治のキャプテンである。

 どうやら、お互いに再戦を誓ったらしい。あれは、いい場面だった。

 早明戦だからではない。激烈な戦い終えたキャプテンが、ともに認め合うように会話を交わす姿がいいのだ。そこにはラグビーに不可欠な「好敵手への尊敬」が漂っていた。そして、それはリーダーの態度によって表現されるべきなのであった。

 昨今のラグビーで消滅寸前の光景がある。
 試合中、負傷した選手に敵軍のキャプテンが歩み寄り、そっと気遣う。腕を引き上げて立ち上がるのを手伝う。いつからか見る機会はなくなった。あれも、またラグビーをラグビーたらしめる営為だった。

 なぜ消えたのか。ペナルティーからの速攻をはじめ、ルール改変などにより、万事にせわしなくなったゲーム展開の影響かもしれない。
 倒れる仲間はとりあえず放置、相手のキャプテンがこちらへ向かう隙をつきクイックで攻めてトライ。それでは冗談にならない。

 コーチングとマネージメントの領域が肥大して、相対的にキャプテンの存在感が軽くなりつつある。洋の東西を問わず、スポーツ全般の傾向だ。ラグビーも例外ではない。

 長らく英国のラグビー界では、コーチを「キャプテンのアドバイザー」と呼んだ。1966年の全英国&アイルランド代表ライオンズの南半球遠征において、実質はコーチ役の「副団長」が随行するまでは、国際ゲームでは、キャプテンが練習を仕切るのが一般だった。

 これはクリケットだが、イングランドのある選手が、キャプテンに求められる資質をこう表現した。

「広報課長にして農業コンサルタント、精神科医にして会計士、そしてベビーシッターにして外交官」

 つまり、すべて。やはり伝統的にキャプテンとキャプテンシーを重視するラグビーにあっても、同じようなものだろう。リーダーは、タックルをしてステップを踏み、なお考え続け、社交にも励む「哲人」でなくてはならなかった。

 そういえば、かつては、たとえば早明戦でも、タッチジャッジをそれぞれの前年度キャプテンが務める慣習があった。英国流のキャプテンシーへの敬意と信頼の証明である。キャプテン経験者たる者、母校に有利な「ずる」などしない…。

 オックスフォードとケンブリッジ両大学の対抗戦では、「チームスリー(主審と協会派遣の線審がジャッジを補完し合う)」なるシステムが採用される最近まで、その伝統は残っていた。

 仮に、前のキャプテンが南アフリカに住んでいても、12月の第2火曜日の定期戦には飛行機で駆けつける。いつだったかオックスフォードのタッチジャッジが現役アイルランド代表の俊足CTBブレンダン・マリンで、キックを追いかけたら選手より速かった。

 数年前に来日のケンブリッジ関係者に「前年度キャプテンのタッチジャッジ」について聞くと、「あれは大切な伝統だ。将来、必ず復活させたい」と話していたから、母国でも郷愁の声はあるのだろう。考えてみれば、ラグビーの創成期には、コーチどころかレフリーも存在しなかった。試合を進めながら、両軍のキャプテンが反則か否かを判断した。

 キャプテン。それもラグビーのキャプテン。いい響きだ。およそ若者を成長させるのに、ラグビーのキャプテンを任せるほど優れた方法はない。

 早明戦。敗れてなお誇り高い伊藤太進の精悍な表情を眺めると「ああ、この青年の人生は大丈夫だ」と思えてくるのだった。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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