コラム「友情と尊敬」

第108回「愛があるなら」 藤島 大

お暑い盛りでございます。いまラグビー界はそれぞれのチームや個人の目的達成のための鍛練の季節だ。そこで勝利追求について考える。

高校のバスケットボールや柔道界の「体罰=暴力」問題に端を発して、どうも「勝利至上主義」という言葉が根のないまま浮遊している。たとえば、やや旧聞ではあるが、以下の例は典型だ。

―元プロ野球選手の桑田真澄氏は(6月)10日、柔道女子日本代表の暴力指導問題を受けスポーツ指導の在り方を話し合う文部科学省の有識者会議に出席し、理想の指導者像を「選手と一緒に悩み喜ぶ伴走者」と述べた。今後の方向性を「勝利至上主義から人材育成にシフトすることが重要だとも訴えた。-

桑田氏は誠実に自身の考えを述べている。ただ「勝利至上主義」の定義は、受け留め方によって変わる。通信社配信の記事はこう続く。

―桑田氏は、選手が失敗しても怒鳴らず褒めるという米大リーグの方法を紹介。全てのスポーツ指導で、選手に寄り添う姿勢が欠かせないと強調した。-

ここで個人的には疑問は生まれる。大リーグの指導者は「勝つため」に「怒鳴らずに褒める」のではないか。そのほうが選手が伸びて勝利に近づくからそうするのでは? 「勝たなくてもよい」からエラーを褒めるのか。

スポーツとは、そもそも「勝利を至上」とする。そうでなくては楽しめない。片側のチームが「勝たなくてもいいや」という態度で準備をしてきたら、対戦しても醍醐味がない。お互いに勝利をめざして創意工夫に励み、心身を鍛え、体力と知力を研ぐ。だから勝ってうれしく負ければ悔しく、感情が激しく揺さぶられて、それが広い視点では楽しみとなる。勝利至上に没頭した結果として勝敗以上の価値をつかめる。桑田氏の唱える「人材育成」にもつながる。

過日、ある新聞社の社会部記者から体罰についてのコメントを求められた。最後にこう聞かれた。「殴らずに強いチームはありますか?」。それがスポーツの現場にいない人の感覚なのだろう。こう答えるほかなかった。「殴っても強いチームはよほど戦力や環境に恵まれているのでは。つまり自分たちより弱い相手に勝っているだけでは。普通の戦力では殴ったら勝てませんよ」

体罰という暴力と勝利至上は実は相性が悪い。仮に平均的な高校ラグビー部、選手のスカウトができず、グラウンドを他のクラブの共用、すれすれの人員で活動するチームが、それでもあきらめずに高い目標に向けて勝利を至上とするなら、そこには人間の理想的な時空がなくてはならない。

コーチ、監督、指導者は、グラウンドとミーティングの時間と空間においてだけは「理想の人」であるべきだ。そこにいる人間を愛し、関心を示し、励まし、支援して、練習計画を練りに練って、妥協なく推進する。レギュラーを決める権限があるからこそ余暇のすべてを捧げる覚悟を抱く。うまい選手もそうでない選手も根底において平等に接し、それぞれの未来に思いをはせる。「その人間が本当にしてほしいことをしてあげる」(大西鐵之祐)。見返りを求めず、片側通行の愛情をこれでもかと注ぐ。自分が優勝監督になりたいのでなく、選手ひとりずつを優勝させてあげたい、と心より願う。

どうです。いい人でしょう。もちろん人生のすべての時間にそうあるのは無理だ。ラグビーのコーチングをしている時だけは理想的である。それでよい。

暴力とは強烈な行為なので、殴られた側の心は大きく動く。確かに、心が動くことは若者の成長のきっかけとなりうる。体罰の体質を捨てずに粘り強いチームをつくるような指導者の場合はその作用をいかしている。しかし、同じ効果は通常の「猛練習」でも得られるはずだ。

持論なので過去から同じ内容を繰り返して申し訳ないけれど、殴って、なお尊敬され、勝利できるほどの指導者なら、少し手間をかければ殴らずに同じ結果を導ける。そして世の多くの監督やコーチが体罰に頼るのは、深い考察によるのではなく、感情の爆発や自信の欠如の露呈に過ぎない。勝つための努力を怠る者が、威厳を履き違えて、圧力と恐怖を行使する。悲劇だ。許せない。社会的に体罰を絶対悪としないと、未熟で、責任感と使命感を欠くダメな指導者にお墨付きを与えてしまう。簡単に殴る人は、自分たちよりも身体能力、練習環境、経験で上回る相手にはいつまでも勝てない。本物の勝利至上に「殴って大切な個を傷つけ、チームの雰囲気を壊す余裕」などありはしない。人間の尊厳を守り育て、理想の人であろうとコーチはもがき、最高の集団を形成し、なお、強大な相手にレフェリーの笛の解釈ひとつで敗れるかもしれない。それくらい勝利至上の道は厳しい。だから緊張と充実があり、結果として、そこから人材が育つのだ。

そもそも本当に好きな人を殴るだろうか。試練を与える、という美名のもと、いじめるだろうか。「愛があるから手を出す」はウソだ。愛がほんのちょっぴり足りないのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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