第180回「他のことは気にしなくてよい。」
藤島 大
チリのヘッドコーチであるウルグアイ人が、かつてイングランドのクラブにおけるボスであったオーストラリア人の一言に救われた。
ロス・コンドレスことチリ代表を率いる元フロントロー、パブロ・レモイネは最近の英国のメディアの取材で語っている。1998年、ブリストルに入団、ウルグアイ出身者として初めてヨーロッパのプロ選手となった。
「英語が話せなかったので難しいことばかりだった」(ガーディアン)
同クラブの指導者でワラビーズのワールドカップ優勝監督(1991年大会)のボブ・ドゥワイヤーは、非英語圏の国からやってきた右プロップに告げた。
「ボールを持ったらまっすぐ走るんだ。タックルもまっすぐ。他のことは気にしなくてよい」(同前)
楽になった。「以後、私の心構えとなった」(同)。
体重は125kg。タックルは得意だった。あのころの母国のラグビーは強豪とはとても呼べず、洗練とも距離があった。だから「まっすぐ」。わかりやすい。根底に個への関心や愛情がある。
本コラム筆者の個人的な思い出。1987年の第1回のワールドカップ期間中、シドニーのクラブ、ランドウィックの練習を見学した。革新的な戦法を創造していると聞いたからだ。ドゥワイヤーは当時は同クラブのコーチ、終了後、若き東洋人に親切にも声をかけてくれた。
「どこに泊まってるんだ。送っていくよ」
みずからハンドルを握ってホテルまで乗せてくれた。1982年~83年、すでにいっぺんワラビーズを指揮している。そんな名士は実に気さくだった。紳士を紳士でなくすと噂された歓楽街のあたりを通ると言った。
「ここには近づくなよ」
4年後には世界一となる髭の人物は笑った。
ドゥワイヤーの自伝にこんな一節がある。
「あらゆる判断とは善である。その選手がとにかく判断すればサポートの選手との100%の関係を築ける」(『Full Time』)
わかりやすくて鋭い。イングリッシュの不得手なウルグアイの巨漢はぶっ飛ばしては、ぶっ倒す。わずかな迷いもない。それは「判断」なのだ。絶対の「善」でもある。パブロがいつものようにぶちかますぞ。仲間の行動はそこに定まる。
そういえばボブ・ドゥワイヤーは、ラグビーがまだアマチュア競技でゲームが始まれば監督の指示は届かず、すべて選手が判断していた時代に「テクノロジー」を導入した。
往時のスコットランドの名レフェリー、ジム・フレミングの回想をいつかどこかで読んだ。
「ワラビーズのボブ・ドゥワイヤーは、テストマッチで負傷者のもとに運ばれるアイスボックスの中に指示を書いた小さな紙をしのばせていた」
2012年6月には次の一幕もあった。ジャパン(XV)がフレンチ・バーバリアンズに負けた。記者会見でエディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)は隣の廣瀬俊朗主将をいわば公の場で叱責した。
「これが日本のラグビーの問題だ。本当に勝とうと思わない」
ドゥワイヤーは、広く流れた映像クリップで顚末を知り、ランドウィックでの教え子にあたるジョーンズHCをたしなめた。
「あまりにむごくて正視できない。これが西洋(ウェスタン)の選手なら言い返す。でも、あわれにも日本の選手はエディーが年長なので耐えるしかない」(デイリー・テレグラフ)
冒頭のパブロ・レモイネは前掲の問答で回想している。
「ボブ・ドゥワイヤーは本当によいコーチでした。わたしのような人間は扱いづらかっただろう。なにしろ若く、気持ちは揺れて、それでいて攻撃的なのだ」
あれから27年強、扱いづらかった若者は50歳となり、正直な態度で選手をうまく扱う。現在のチリ代表の掲げる価値がある。「謙虚」「敬意」「大志」。おのれを信じれば、虚勢の必要はなく、みずからの生きる世界をおのずと尊び、高いところへ届こうとする心も曇らない。
あらためて「まっすぐ走れ。タックルもまっすぐ。他のことは気にするな」。そこにいる人間の長所にこそ着目、ひとりひとりの逡巡を取り除く。チームづくりの核心ではあるまいか。
キックの巧みな10番には「蹴りまくれ。走らなくてよし」。頑丈な12番には「前へ。パスなど不要」。やせて背の高い4番になら「跳んでくれたら文句なし」。辛抱強い1番には「耐えろ。スクラムの嵐が通り過ぎるまで」。
年代別を含む国代表のように「好きに才能を選んでよい」集団であっても、トップ級の対戦国との関係では「ひとり絶対ひと仕事」のほうが強い気がする。
愛があるから割り切れる。それがコーチングだ。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。