第179回「コザ。明大中野。東京。」
藤島 大
見なくてもわかる。そこに魂があったことだけは。
2025年11月3日。沖縄の名護市における花園予選決勝。コザ高校が名護高校を8-7で破った。5月28日の県高校総体のファイナルでは名護が34-14で勝っている。深い緑のジャージィ、そのときの敗者は4カ月強で結果をさかさまにした。
タックルにつぐタックル。迷いなき前への出足。「信は力なり」。後日、県関係者が「その通りの試合」と教えてくれた。コザの唯一のトライはインターセプトによるものであった。
この前日。東京・江戸川での都大会第一地区のこちらはセミファイナル。明治大学付属中野高校は目黒学院高校に0-10で敗れた。見なくてもわかる。そこにおいては、ざっと28時間後に沖縄北部の地で起こる事態の大半がなされている。
今季の同地区の横綱に1トライしか許さない。たくましくて柔らかい7番と8番、トンガ出身のラトゥ・カヴェインガフォラウ(唯一のトライを挙げた)およびロケティ・ブルースネオルとの対峙を考えると、まさに特筆に値する。5月10日の春季大会準々決勝では5-47の大敗を喫していた。
目黒学院は花園をかけた決勝では東京朝鮮中高級学校を58-5と圧倒した。劣勢の側も果敢なタックルを仕掛けたのだが、先発の両留学生のみならず、次々と鋭いランナーが現れてはゲインをかせいだ。
試合後、12番の及川拓巳主将に聞いた。明大中野戦のショックかもしれぬ大苦戦、本日の快勝に影響していますか?
「自分たちは日本一をめざして練習をしてきました。ただ、明大中野戦は、心のどこかにスキがあって、そこに焦点を合わせてきたかというと、そういうわけではなかった。メンタル、気持のところがプレーにも表れました。きょうは、その反省をいかして一発目から激しく当たれたと思います」
きたる花園で目黒学院が年を越したのちもいっそう躍進したら、それは明大中野ラグビー部のひとりひとりの意思と準備と覇気のおかげである。本物の挑戦は相手をも高めるのだ。
見たからわかる。そこに魂は確かにあった。東京高校、立派だ。11月9日。都の第二地区決勝で早稲田実業学校高等部に負けた。22-27。猛追の接戦だった。残り10分、秩父宮ラグビー場に不安や興奮や祈念がこんがらがる。すべての観客の奥歯はぎりぎりこすれた。もちろん当事者に悔いは残って当然だろう。それでも、ファンや取材者、あるいは対戦校にとっては「お見事」の一言だ。
開始直後から赤黒の早実は精進の成果を発揮した。理詰めのアタック。そして理屈を無視するかのような鋭くひたむきな防御。2分、10分、19分とトライをたたみかけて、たちまち17-0と差をつけた。
東京とすれば、作戦の立案や遂行の力、スキル、なにより気迫においてもいきなり突き放された。もはや上回るところを見つけられない。かに映った。違った。汗と涙で紫紺があせたような色彩のジャージィは簡単にしおれはしなかった。
心を揺さぶる時間の始まりだ。22分過ぎに待望の反則を奪い、ようやく敵陣深くへ侵入。仲間にも相手にも粘りつくような身上のモールを押し、うまくちぎれてインゴールを攻め落とした。17-5。積み上げた鍛練はゲームを生き返らせた。
後半。早実はしかとPGで先制する。すなわち、ぬかりはない。東京はそんな難敵に先行されながら、心身の強靭をなくさない。不利にこそ光るタフネス。ちゃんと練習してきたのだなあ、と、わかる。10-20。10-27。17分に15-27。そして進む時計で同28分に22-27。ほどなくインジュアリータイムは「2分」と告げられた。
悲鳴。悲鳴。悲鳴。「出し切り」と呼んでさしつかえない攻防のはて、とうとう5点差は動かなかった。リードする側が失速したのではなく、されたほうの根の太さによって差は詰まった。観戦の醍醐味である。東京は準決勝で地区筆頭ともくされた國學院久我山高校(インフルエンザの少なくない影響があった)を19-8で退けた。それを「アップセット(番狂わせ)」と書く気にはとっくになれない。
早実の大谷寛監督は勝利後の放送インタビューで「花園にいかに臨むか」について聞かれると言った。
「東京高校の粘りとプレッシャーがすごかったな、と。いまはそこしか」
ラグビーという競技は、ふたつのチームの努力と努力が満々の闘争心とともにぶつかると、いかなるレベルであれ、こと感動については、緊迫のワールドカップのクライマックスとも重なる。決闘直後の空間を貫くのは、手軽な常套句とは異なる本心の「リスペクト」である。
あらためて東京高校対早稲田実業学校高等部の正味60分に敬意の杯を捧げよう。もし、これが初めてのラグビー観戦という善良な市民がおられたら、きっと一生、楕円球とスクラムと握手と嗚咽のスポーツを好きになるだろう。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。