コラム「友情と尊敬」

第1回「カマラデリィー」 藤島 大

 友情。フレンドシップ。あまりに収まりがよくて、普通なら気恥ずかしくなるような言葉だ。
 しかし、ラグビーの世界では、なんの違和感もなく「友情」は語られる。いや、実際には、さほど語られすらしない。それは、そもそも、そこにあるものであり、あえて言い募ることでもない。みな、体内に当然の存在としてしまわれ、必要がある場合にのみ言語化されるのだ。

英国やアイルランドでは、よく「カマラデリィー(Camaraderie)」という単語を用いる。「同志愛」と訳すことが多い。とりわけラグビー選手は、この表現を好む。 かつてインタビューした名選手たちも、問答の最中、ふいに「カマラデリィー」と言った。
 いまから6年前の春。史上最高のスクラムハーフのひとり(おおかたの見るところでは『のひとり』は不要だが)、ガレス・エドワーズに、プロ化されたラグビー界について聞いた。1970年代のウェールズ黄金時代を支えた天才は、持ち前の明朗さで語ってくれた。

「試合後に敵味方入り乱れてビールを酌み交わすラグビー文化が消滅するのであればオープン化(プロ容認)には反対します。プロスポーツの一例としてサッカーを挙げましょう。彼らは試合を終えると、さっさとシャワーを浴び、ビールをグラスに半分だけ注いで、ちょいと口をつけるや移動してしまう。ラグビーでは許されません。いまのいままで戦った相手と尊敬の念を交わし、カマラデリィーを培い、お互いの理解を深めるのです」

ウィリー・ジョン・マクブライド。1974年の全英国&アイルランド代表、ライオンズの主将として無敗の南アフリカ遠征を率いた名ロックである。
 やはり6年前の秋。バミューダ諸島の「世界最小の首都」ハミルトンで、プロ化を迎えたラグビーの将来を話してもらった。いまより、うんと国際試合の少ない時代に63キャップ、伝説のアイルランド人は、さまざまな分析を述べ、そして、つぶやいた。
「ラグビーのカマラデリィーだけは守られなくてはならない」

ここで、かねがねの疑問を書いてしまいたい。
 日本国内の高校の試合では、ほとんど「アフター・マッチ・ファンクション」が行われていない。おそらく花園の決勝のあとだけではないか。
 これは、はっきりと間違っている。県の予選でも、本当は練習試合でも、ガレス・エドワーズの指摘する「友情を培う」場所と機会は設けられるべきだ。ラグビーには、そもそもアフター・マッチ・ファンクションが含まれている。それがないのは、レフリーがいなかったり、野球のユニフォームでスクラムを組むのと同じだ。

 まさかビールとはいくまい。グラウンドの片隅で、学校の教室で、どうかジュースとサンドウィッチを楽しみ、勇気と覇気がなくてはできない困難で痛快なスポーツを選んだ者ならではの「カマラデリィー」を結んでほしい。

 以下、唐突な結論。中学や高校の試合後の交歓会がもれなく開かれる時まで、この国に、たとえばワールドカップを催す資格はない。日本のラグビーに不足しているのは「芝のグラウンド」と「アフター・マッチ・ファンクション」である。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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