コラム「友情と尊敬」

第61回「タックル100本の自由」 藤島 大

警察官や総理大臣には書けないことを少しだけ書く。

大学1年生は、たまにビールを飲んでもいいと思う。社会人1年目の18歳は、職場の新入社員歓迎会でビールを飲みたかったら飲むべきだ。筆者は、強制的飲酒を心の底より嫌悪するが、自分の意思であれば乾杯の合図でグビグビと喉を鳴らそう。

このごろ、社会から、そうした「寛容」の精神が薄れてきて気味が悪い。「ほら、見っけ」。そんな感じだ。簡単に書くと、歯止めがオキテにすり変えられている。

公式には「飲酒は20歳を過ぎてから」。それはそれでいい。社会としては、一応、ここに線を引きましょう。異議はない。ただし、そこには、そこはかとない許容の余地があってしかるべきだ。

10歳がアルコールに手を出すのと、18歳がたしなむのでは違う。大学祭の打ち上げの夜に警察が、たとえば早稲田界隈の安酒場をいちいち襲って、楽しく青春を謳歌するサークルの学生の生年月日を確かめては捕まえる。翌朝の新聞に「早大生、未成年の半数が飲酒」なんて見出しが躍る。そんな社会は息苦しい。どこかへ亡命したくなる。

「本当の悪徳。アンフェア」と「未成年の新入社員が乾杯」。前者と後者には大河の幅があるはずなのに、だんだんと混同されつつあり、合法か非合法かばかりが問われる。のちの警察官僚や法務大臣だって、もしかしたら青春時代にしでかしたかもしれぬ程度のことに社会は目くじらを立ててはいけない。

いきなりアルコールのたとえを挙げたのは、そうした狭量が、ラグビーそのものにも迫ってくる「嫌な予感」がするからだ。

たとえば強豪大学の猛練習(暴力や体罰にあらず。正当ながら、きわめて大きな質量のトレーニング)が「人権問題」として訴えられたり、選手選考について親が介入して法的手段を行使するような時代は迫っているのではないか。

「試合に負けたらタックル100本」。ここだけ切り取ると、虐待に映るかもしれない。もとより、この種の懲罰的に映る練習を慣習的・機械的に行うと、選手の意欲はみるみる減退してチームは弱くなる。

しかし、慣習ではなく、ここというところで、スキルと経験、さらに人格の優れたコーチが、気の弱い人なら目をそむけるような激しい訓練をさせるなら、そのことは個人教育としても、またチーム強化としても、現実に成果を得る。それを、いちいち外部の監視や介入で遠慮してしまえば、伸びる芽を摘むことにもなりかねない。

確かに、コーチは万能ではありえぬから、成功の半面の失敗もあって、ある選手の才能をスポイルする場合もあるだろう。しかし、あえて書くが、そこまでは許容範囲なのである。万人が完全に満足して、万人に一律に効果的な指導などありえない。

もとより勝負は理屈でない。猛練習もその範疇にある。非科学的な領域を経験しておかないと、大一番の土壇場で力を振りしぼったり、冷静でいることはできない。また、理屈を超越した猛練習、暴力ではないけれど親には見せられない鍛錬とは、実は、弱者が一矢報いるための方策でもある。

快適で、合理的な練習ばかりをしていたら、東京大学は早稲田大学にいつまでも勝てず、ジャパンはワラビーズに追いつけない。どこかで「無理」は必要だ。

体格、身体能力、幼少時からの経験に大きな差があって、それでも、あきらめないのであれば、現場には自由の余地がなくてはならない。猛練習もそのひとつだ。前回も触れたように、文武両道の一時的放棄もありうる。クラブとして「授業へ行くな」と強制するのは許されない。しかし個人が自分自身の意思で「ことしはラグビーにかける」と決める自由はあってもよい。このあたりの按配は、「18歳の社会人は、たまにビールを飲んでよし」に似ている。ただし授業に出ない自由の行使は、ラグビーの実績を借りず、自分の意思と能力で進路を切り開き、いわゆる「一般入試」に合格を果たしたからこそ許されるような気もして、そこは微妙な領域ではある。

前回の当コラムで「大学ラグビーは、シーズンオフ確保のルール研究を始めるべし」という主旨を書いた。本心である。他方、仮定の例を挙げると「東京大学ラグビー部、練習漬けで半数が留年決定」というような出来事が、微笑ましい逸話としてではなく、スキャンダルとして語られるような狭量な社会はまっぴらごめんだ。

18歳の飲酒は、品よく、他者に迷惑をかけず、まして被害者などいないから、かろうじて寛容の対象となりうる。大学ラグビー界も、愛すべき「ラグビー馬鹿」が授業をさぼってバーベルを挙げたり、新入生が優勝祝賀会でビールに口をつけるくらいの自由を維持するためにこそ、クラブのあり方に一定の節度は求められる。つまり「根本的にはまとも」であることだ。そうしないと「タックル100本」が裁判にかけられる時代はやってくる。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

過去のコラム