コラム「友情と尊敬」

第126回「桑水流 裕策」 藤島 大

人格がそこに立っている。ほとんど神々しい。厳然と存在しているのに透明のようだ。8月23日、トップリーグの「プレスカンファレンス」が東京都内で行われた。開幕前の恒例の催しである。そこに、あのヒーローの謙虚で謙虚でまた謙虚な姿があった。

桑水流裕策。7人制日本代表の主将である。この午後は、コカ・コーラレッドスパークスの主将代理の立場で出席した。他チームの指導者も並ぶ壇上での挨拶では、まず「各ヘッドコーチ、また、ここにはおられませんが大学の監督の方々、選手の派遣など7人制の活動を理解していただき、ありがとうございました」と誠実としか表現できぬ口調で謝意を示した。見事なオリンピアンである前に立派な社会人がここにいる。

次にスピーチしたサントリーサンゴリアスの沢木敬介監督は、斜め後方の桑水流主将代理にあの鋭い視線を優しく走らせ、こう語った。「チャレンジ精神の大切さをリオ(五輪)で知りました」。以下、多くのチームからニュージーランド代表を破った7人制代表を称えるコメントが続く。すると、桑水流裕策は、そのつど律儀に頭を下げる。実に自然に。そんな仕草が美しかった。

あらためてリオデジャネイロの7人制男子代表は、初戦でニュージーランドを14-12で破って国際ニュースの主役となり、結果としてファイナリストとなる英国には19-21の惜敗、ケニアを31-7で退けると、準々決勝のフランスに残り17秒の劇的逆転勝利。準決勝において金メダルを獲得するフィジーに5-20、銅メダルのかかった3位決定戦では南アフリカに14-54と力尽きるも、セブンズとしては初実施の五輪で4位の堂々たる成績を残した。

その最前線の当事者、キャプテンが、匿名で慈善事業に財産を寄付してきた人物がふいに特定されたみたいなたたずまいで控えめにしている。そんな静かな態度に、むしろ、ひと回りした迫力はにじんだ。この男の辞書に「虚勢」や「自己プロデュース」の文字はない。

当日の体重は96㎏。身長は189㎝あるので細身に映る。記者に囲まれると「4㎏は増やしたい」。セブンズ仕様から15人制への切り替えを始めたところのようだ。そして、8人で組むFWのロック桑水流もまたトップリーグ屈指の実力を誇る。新しいシーズン、ぜひそこを凝視してほしい。

五輪開幕前。たまたま九州電力の元ロック、敬称略で、吉上耕平と会った。福岡の筑紫丘高校出身、本コラム筆者が早稲田大学のコーチをしていたころの部員であった。現在は現役を引退、東京に転勤して仕事に力を注いでいる。よい機会なので、トップリーグで対戦してきたロックで、ジャパンの常連、たとえば東芝の大野均のような相手を除いて、実は、手ごわい、尊敬できるという選手は誰? と聞いた。

答はすぐ返ってきた。「桑水流です」。そのココロは? 「逃げない。外国人にもブレイクダウンの体の張り合いで負けません」。五輪後、吉上耕平と「赤白が黒衣に恥をかかせた」祝杯をB級酒場にて交わす。キックチャージの名手にしてラインアウトの最高級頭脳でもあった元ロックの第一声はこうだった。「桑水流、九州の魂、見せましたね」。セブンズの空中戦の顔は、15人制の地上肉弾戦に骨きしませた福岡の好敵手からも尊敬されている。

さて余談。鹿児島生まれの桑水流裕策の姓をクワズルと読む。ぜひサンウルブズに選ばれて、いつか南アフリカのシャークスと敵地で戦ってほしい。その土地、ダーバンはクワズールー・ナタール(KwaZulu-Natal )という州にある。クワズールーでクワズルが大暴れするところを見たい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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