コラム「友情と尊敬」

第2回「レスペクト(尊敬)」 藤島 大

 汚名の歴史が刻まれた。
 ピーター・ファンセイル。南アフリカ共和国はジョハネスバーグ近郊に暮らす、43歳の太鼓の腹を持つ人物は、ラグビーの歴史に薄汚い染みを落とした。  8月10日。ダーバンで行われた「トライネーションズ」、地元の南アフリカ代表スプリングボクスとニュージーランド代表オールブラックスがぶつかった。後半開始直後。あってはならない事態が発生した。グリーンのレプリカ・ジャージィーを着たピーター・ファンセイルなる男が、突然、アイルランド人のレフェリー、デイヴィッド・マクヒューさんに襲いかかった。東側スタンドの一角から、なんと60メートルも走って、ハイタックルを仕掛けたのだ。スプリングボクスの「かすかなノッコン」を見逃さなかった直後だ。

 すかさず両国の選手が一緒になって暴漢を引き剥がした。その場面は、「ラグビーの尊厳」に生きる当事者と、ラグビーを愛するふりをしながら針の先ほどの「自尊心」を満たそうとする愚か者、両者を隔てる大河の幅を物語っていた。マクヒューさんは左肩を脱臼、控えの審判と交代した。衝撃だった。これではラグビーがラグビーでなくなってしまう。

 ラグビーの誇りのひとつに「観客のたしなみ」がある。サッカーのような応援席は原則的に存在しない。どちらのひいきも席をまじえて観戦する。スタンドでの飲酒も自由。ビールを飲み、歌い、勝っても負けてもユーモアを忘れない。

 つまり、あの忌まわしき男は、レフェリーをタックルしたのではなく、ラグビー文化に対して暴行を働いた。さっそく、警備の強化、飲酒制限、応援席分離などを訴える声は出始める。ラグビーの死である。

 レフェリー受難の伏線は、1995年のラグビー界のオープン化(プロ容認)にある。プロフェッショナルにとって敗戦は、収入減、ひいては人生設計にも関わってくる。めまぐるしいルールと解釈の変更で、レフェリーの裁量の幅は増す。結果、プロのコーチ(監督)や選手は、「プロらしく」審判に圧力をかけたり、批判を加えることによって影響力を行使し、また自分の抜け目のなさを証明しようとする。今回の「事件」の直前も、オールブラックスのSOマーテンズが南アフリカ人のレフェリーをけなして物議を呼んだ。

 日本でも、しだいに、そんな傾向は強まっている。反則を「してはならない」から「見つからなければいい」へ。ラックで球をおさえる。「はなして」。レフェリーの声でぱっと手をあげる。一見、フェアだが、実は最初の段階で確信犯である。本来は、そもそも「してはならない」のであり、レフェリーの注意に反応したから正しいのではない。特定のチームやプレーでなく、それは、世界に、日本に、蔓延してしまった態度である。

 審判の神聖視には反対だ。しかし、根底に尊敬がなければラグビーは存在しえない。
 選手はレフェリーを、レフェリーは、たとえラグビースクールの少年少女であってもプレイヤーをレスペクトする(高校の地方予選で見た光景。負傷者が出た。1年生が交代で入る。緊張で動作はぎこちない。すると教員であるレフェリーは「早くしなさい。背番号、見せて」と怒鳴る。プレイヤーを尊敬していないのだ。こうして不信の種が蒔かれる)。

「サンキュー・レフ」。敗者からの一言が消滅すれば、あとは殺伐しか残らず、やがて審判のレベルは衰退する。誰が、誰にも感謝されない難業に飛び込むだろうか。

 ファンセイルは突然変異の怪物か。そうは思えない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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