コラム「友情と尊敬」

第111回「花園の心」 藤島 大

ヘビー級とフライ級のたとえは正確ではあるまい。世界タイトルマッチと4回戦。こちらのほうがピタリとくる。オールブラックスことニュージーランド代表とヘイコウこと福島県立平工業高校のラグビー、そのいずれもが同じような感動を観客と視聴者にもたらす。年末から新年、あらためて高校ラグビーの魅力に気づかされた。

花園の決勝。本コラム筆者の知人は、テレビ受像機の中の東海大学付属仰星と桐蔭学園の攻防を凝視、後日、こう言った。

「レベル、凄く上がってますね。大変なことになっている」

20年ほど前の高校ラグビー部員、米国でしばらく酒場経営修業、昨年に帰国した。ひさしぶりにラグビーに触れて、だから素直な感想に説得力がある。

東海大仰星は、体格も十分なひとりずつの選手が、集団として早く仕掛け、めったに孤立しない。縦に深いサポートが波状の突破、えぐっておいて、なおボールがその場にじっとせず、ただちに横へ動く。本来、サイズ、長い距離のスピード、パス能力に恵まれない側にふさわしそうな発想を最上級の才能がひたひたと行うから、相手にはやっかいだ。後半、ピンチ脱出時においてキックに逃げず、スクラムからショートサイドを堂々と攻略して長いゲイン、勝負の天秤をコトリと傾けた。まさに心技体の鍛練の凝縮だった。

桐蔭学園のキックを封印したかのようなアタックも質が高い。自陣深くからも攻め続ける方法とは、まさに「強者」の特権だ。体力温存を必要とせず、根源的スキルを身につけたチームだけが貫徹できる。ファイナルでは、東海大仰星の資質の高い個に対しても堂々と敢行、「都会の学校の子」というイメージに収まらぬ強靭な身体、高度なスキル、萎縮とは無縁のハートの雄大さを表現した。

そして花園のもうひとつの喜びもいつものようにあった。体格と経験と身体能力の範疇がほぼ重なるチームがともに真摯に準備を積んできたら、1回戦でも心を揺さぶられる。平工業と若狭高校の大接戦がその象徴だ。光泉高校に挑んだ浦和高校の熱のこもったタックルと展開も観客席をわかせた。強力なニュージーランドからの留学生、テトゥヒ・ロバーツを擁する札幌山の手高校を追い詰めた高鍋高校の「点」にかける攻守も冷気を熱くさせた。関商工高校と対戦した土佐塾のライン攻撃も爽快だった。FB・金崎廉太朗のしなやかなランから未来の可能性が発散されていた。

2回戦では、國學院栃木高校が、優勝候補の一角である大阪桐蔭高校に鋭く迫った。石見智翠館高校、尾道高校、山陰・中国地方の両雄は、それぞれシード校の茗渓学園高校、東福岡高校と激突して白黒の明暗を分けるも、ともに迫力に満ちたディフェンスで大会を引き締めた。東京高校の「正真正銘のシャロー防御」も、天理高校に敗れて、なお語られるに値した。

ラグビーとは技術の精度や身体能力だけでは構成されない。勇敢さ、冷静さ、喜怒哀楽のコントロール、ひたむきな態度などなど、人間の根源がこれでもかと求められ、また表現もされる。だからレベルの高低とは別に、その試合、大会にかける態度を培ってきたチーム同士が体を張れば、おもしろいのである。

あらためて思う。花園を象徴とする高校ラグビーとは大切な育成機関であり、シンクタンクであり、なにより若者の成長のための大きな機会である。日本のラグビー界全体で、名もなき多くの指導者、それを支える地域の人たちの情熱に敬意を表するのが当然だ。

さて今回の花園にも好選手は多数ひしめいた。
個人的には、日川高校の背番号10、市川秀樹のスペースのありかを察知、速やかに仕掛ける感覚、ボールが生き物のように動くパス能力がやけに印象に残る。もうひとり、U18合同チーム東西対抗戦出場のフランカー、名古屋市立工芸高校の星野浩佑の柔軟でたくましい突破も心の奥の感銘を呼んだ。後者は、卒業後、地元のガス製品メーカーへ就職、どうか、どこかで楕円のボールを抱えて、どこまでも走ってほしい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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