コラム「友情と尊敬」

第132回「発明の出番」 藤島 大

ワラビーズ、強し。先日のジャパンとのテストマッチ、あらためてワールドカップ優勝経験を有する強国の底力を見た。ただしゴールドと称されるカラーの代表ジャージィは、有史以来、いつでも揺るぎなかったわけではない。もがきながら地位を築いた。

必要は発明の母。オーストラリアのラグビーがそうだった。世界でも屈指のスポーツ大国の昨年6月時点の人口は「2413万」。限られた人の資源を多くのスポーツが奪い合う。歴史的にラグビー・ユニオン、すなわちスズキスポーツが用具を供給する15人制のラグビーは同国において「人材確保」で劣勢であった。早くからプロ化していた13人制のラグビー・リーグ、特有の競技でメルボルンを中心に根強い人気を誇るオーストラリアン・ルールズに比べるとアスリートの獲得で劣勢であった。

長らくシドニーやブリスベンの富裕層の子弟の通う私学を軸に楽しまれ、その分、社会への影響力は保たれてきたが、どうしても隣国のニュージーランドのようなラグビー選手の分厚い層に恵まれない。あちらの人口はざっと「460万」。それでも運動の得意な少年はまずラグビーに集まる。草の根の張り方が違う。

そこでオーストラリアは考えた。たとえば、1968年6月15日、同国代表ワラビーズはオールブラックスとのテストマッチ第1戦で「ショートラインアウト」を初めて用いた。デス・コナー監督の「発明」とされた。しかし、同じ年の5月から6月にかけて大西鐵之祐監督の率いるジャパンがニュージーランド遠征で少人数の短いラインアウトで大男をてこずらせている(NZUとの最終戦のニュース映像には、6人でピールオフ、ラックのショートサイドにSOが走り込む鮮やかな仕掛けが残されている)。現在のような情報化時代ではないのに、遠く離れた土地で同時期に似たような創造が行われた事実は興味深い。日本のラグビーもまた「体格を持たざる者」として考えた。頭をひねらなくては勝負にならなかった。

もうひとつ。必要は喜びの母でもあった。オーストラリアのラグビーは観客をよく楽しませてきた。国内で他競技と人気を競い合うので「観ておもしろい」スタイルを追い求めるようになった。

ジャパンもそうだ。1991年のワールドカップ。宿沢広朗監督、平尾誠二主将(いまごろ雲の上で次の試合の作戦について語り合っているだろうか)のジャパンはジンバブエに52―8と快勝した。大会最多の9トライ。英国のデイリー・テレグラフ紙のチャールズ・ランドール記者はこう書いた。
「ファンを喜ばせることはあっても決して試合に勝つことのなかった日本が、ここにきてやっと勝利の笑顔を見せた」

負けたとしてもファンを喜ばせる。それが日本のラグビーだった。選手の骨格に劣る。かつてはラグビースクールが普及していなかったので幼少時からの経験も乏しい。それでも伝統国に対抗するには、素早く、ひたむきに戦うほかはなかった。すると、必然、観客は感動する。少なくとも感心はした。

創意工夫と娯楽性の担保。その調合の傑作が1984年のワラビーズである。短いバックスラインを採用、そこからの多彩な仕掛けでホームユニオン(イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド)を遠征ですべて倒す「グランドスラム」を成し遂げた(youtubeの『1984 wallabies』でたくさんハイライト映像を見られる)。観て楽しく強かった。斬新な攻撃法も、もともとはシドニーのマタラビル校のアラン・グレンという情熱的な数学教師の着想だった。

さて昔話をここまで書いたわけは、このごろ、日本列島発の独自のアイデアをあまり目にする機会がないからだ。

1999年、現在はトヨタ自動車ヴェルブリッツの指導陣の一員、当時はワラビーズの防御担当コーチのジョン・マグルトンが、13人制のラグビーリーグからディフェンス法を導入、大会を通じて失トライは「1」という圧倒的な守備力でワールドカップを制する。現在に至る「フィールドをたくさんの選手が埋めてスペースを消す」システムだ。ショック! 攻めれば攻めるほど守りの人数が増えていく。以来、ラグビーの流れは「そのディフェンスを破る方法」と「『そのディフェンスを破る攻撃』を止める次の方法」の循環と化した。日本の国内ラグビーもおおまかに述べると同じ線にある。

たくさんのフェイズを重ねて、そのつど多層的攻撃体系を敷いてゲインを図る「シェイプ」。イルカの小さな群れ(ポッド)を想起させるポジショニング、たとえば「(グラウンドの真上から見て)1・6・1」のようにFWをあらかじめ分散させ、効率的かつ効果的にアタックする「ポッド」。ここ数年の傾向もサイクルの範疇だ。

日本のチーム、ことに「考える場」である大学に望みたい。「1999年ショック」の外に出よう。一般的に正しいディフェンスを攻略する一般的に正しいアタックを離れてみないか。「相手がどうだろうと自分たちはここを攻める」。スペースがふさがっていても、より多くの人員をその狭いチャンネルに投じて前へ出る。そのための独自の技術、そこに求められる体力をせっせと磨く。世界の潮流の攻撃法をあえて無視して「自分たちはこうしたい」というオリジナルの防御法を打ち立てる。結果、現実の試合で起きる事態を予測して先回りの手をひとつ用意しておく。大胆だろうか。そうではないと思う。

ごく近い将来、大学の「留学生出場枠」は2人から3人に広がるだろう。「持つ者」と「持たざる者」の差は上位校の範囲でも広がる。発明の出番である。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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