第177回「ラグビーは戦争なのか」
藤島 大
整集より左へ展開、挺倒ののち、密集は形成され、さらに展開、いよいよ決勝線へ迫り、本陣の直下に略陣。
いまならこうなる。
スクラムより左へ展開、タックルののち、ブレイクダウンは形成され、さらに展開、いよいよトライラインへ迫り、ゴールポストの直下にトライ。
戦時下のラグビーは「闘球」とされた。官僚統制が敵性語の使用を強いて、用語もあらためられる。日本体育大学の部史である『チャンスの像とともに』にはこうある。
「十七年四月八日に大日本体育協会が改組され、大日本体育協会として発足してから『闘球』が従前の『ラグビー蹴球』に代わって公式名称となる」
昭和17年は1942年、敗戦の3年前である。冒頭の「邦語」への言い換えを引いた『早稲田ラグビー六十年史』には以下の記述も。
「一般には18年2月から採用されることになったが、シーズンは終わり、実際には使用されなかった」
昭和18年、1943年には戦況がますます悪化、もう公式戦は許されなかった。ほどなく練習すらできなくなる。
「事実上19年3月から21年の春まで部の活動は停止された」(同前)
だから「整集」や「略陣」の出番はほとんどなかった。なのに「ラグビー=闘球の時代」のイメージは歳月を経ても消えない。ひとつの理由が『チャンスの像とともに』に見つかる。
「戦闘訓練にふさわしいという理由で優遇されてきたラグビーから、新競技としての闘球が誕生したことも注目される。(略)土浦海軍航空隊において創案されたものである」
当時の『国民体育』誌の1942年12月号に掲載の競技概要ならびに規則を引いている。
「創案者坂井海軍大尉の説明によると、ラグビーを主流として、鎧球、蹴球、籠球の各特長を綜合し、あくまでも競技態度と闘魂に重点をおいたもの」
鎧球(がいきゅう)はアメリカン・フットボール、籠球(ろうきゅう)はバスケットボールである。
中央線を境に30m間隔で突撃線と決勝線を引く。その手前の中央線付近を接敵地帯と称して、ここでは球を前方の味方に投げても蹴ってもかまわない。「突撃地帯」に入ったら、ラグビーと同様、前へのパスやキックは禁じられる。スクラムやラインアウトは省略された。
勇ましい新競技の誕生と気楽にとらえては間違いで、こんな記述も。
「決勝線の中央外にある本陣(十〇米の方形)」を敵の航空母艦または主力艦に見たて、陣翼(本稿筆者註=本陣のまわり)をその護衛艦と見て使用球(ア式蹴球またはラ式蹴球用)を魚雷爆弾と念じて敵陣へ球をかかへて突撃するのである」
純粋なスポーツではありえない。ボールが魚雷爆弾であってたまるか。
昨年の11月に『事実を集めて「嘘」を書く』というスポーツライティングにまつわる本を出した。そこで白状した。
「スポーツライターは戦争用語から逃れられない」
ずいぶん前、年長の元ジャーナリストにそっとたしなめられた。「スポーツ記者はすぐに軍隊の言葉を使いますね」。なるほど。ただちに反省。でも「皆無」にはなかにかできない。
それこそ「魚雷」もそう。以下、ことしの4月の自分のコラムの書き出し。
「魚雷バット。わかるようでわからない。水中を進む兵器を実際に目にした経験はない」(東京新聞・中日新聞)
心のどこかに違和感はある。遠回しに言い訳を試みている。でも新型バットの話題に触れながら「用いず」とすると、書き進めるのは容易でない。
さすがに「玉砕」は避けたい。でも明治大学の全盛期の描写にあたり、どうしても「重戦車FW」はおいでおいでをする。無印よりいきなり駆け上がったチームや選手を「伏兵」。これもキーボードについ打ちそうになり、待てよ、と踏みとどまり、でも「フクヘイ」の響きを嫌いになれない。
余談。大衆中華店に飛び込んで、大瓶ビールを頼み、さて何をいただくか。「一品料理」のリストに目を落とし、壁のボードの「おすすめ」に視線を突き刺しながら、よく、ひとりでつぶやく。
「あわてるな。メニューのどこかに伏兵が潜んでいる」
ちなみに手元の辞書の「ふくへい【伏兵】」は「敵を襲うために、敵の気づかぬ地にかくれ伏している軍勢」。念のために「ぐんぜい【軍勢】」のほうは「軍隊の人数。軍隊。軍兵」。ああ、やはり「軍」だらけだ。
ならば空中戦は。クウチュウセンと聞いたら、ラグビーでハイパントを競り合うシーンがまっさきに浮かぶ。個人的には純正ラグビー用語である。ただし、こちらも「航空機による空中の戦い」が本来だ。
先日。7人制と15人制の女子の米国代表でおそるべき数のSNSのフォロワーを誇る人気者、イロナ・マーについて調べると、本人が語っていた。
「7人制はバトル。15人制はウォー」(ESPN)
めまぐるしい戦闘。大きく長く続く戦争。28歳の大スターの実感なのだと思う。
だが、前線をくぐり抜けた本物の兵士は戦場体験をスポーツに重ねない。殺し合いは、そんなに甘いものではない。ならばアスリートが口にするのもよくないのか。
うーん、ラグビー選手が「戦争」と呼べば、すなわち「実際の殺戮の応酬とは別のたとえ」と素直にうけとりたい。とはいえ。さりとて。できれば他の表現がふさわしい。広島と長崎に原爆の落ちた日のあいだの時間、しばらく考えてみたい。
■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。