コラム「友情と尊敬」

第178回「俺たちに『次』はない。」 藤島 大

かつてはマジックと称された。いまは「空を飛ぶ人」。ジャパンの奮闘を願いつつ、ついフィジーの攻撃に心を奪われる。ときめきを呼んで見事だ。

9月20日(日本時間21日)のパシフィックネーションズカップ決勝。愛称フライング・フィジアンの魔法使いたちは前半の後半、跳んでは飛び、駆けて湧き出て、たちまち連続トライを挙げた。

開始29分過ぎに自陣で背番号1のエロニ・マウィがこぼれ球を得るや、9番のシミオネ・クルヴォリが「瞬く間」に駆け寄って突破、そこへ4番のメサケ・ヴォゼヴォゼが吸いつくようなサポートに走る。さらにつないでラックから左へ大きく振って12番のイニア・タブァヴォウがトライラインを越えた。

同34分過ぎ。こんどは右へキックによるパス。今大会のスターのひとりである6番、身長196㎝のエトニア・ワカがつかむ。まさに同時、やや離れた内側後方のタヴァヴォウがこれまた「瞬く間」にフルスピードで駆け上り、2番のテヴィタ・イカニヴァレのスコアは生まれた。

いま「瞬く間」と繰り返し書いた。本当なのだ。フィジーの1番から23番は例外なく、仲間が抜いたり、抜きかけたり、それどころか抜こうとするだけで、まばたきより先に、もうそこに現れる。

なぜ南太平洋の人口93万の島嶼国のラグビー選手はそうなのか。事情をわかる知人がいる。

現役なので敬称略で野木大彰。過去に神奈川の桐蔭学園や不滅のウルトラマンクラブやタマリバ、そして、ここが大切なのだが、フィジー共和国の港町のクラブ、ナンボワル・セレクションで俊足にして幻惑をあやつるバックスとして力を発揮した。

5年前。フィジーのサポートを語った。

「みんな、自分がトライをしたい。みんな、いいところでパスをもらって、いいプレーをしたい。みんながみんなそうだから自然にああなる。日本で教わったコースを走ってもまったくボールにさわれません」

2019年に移住。免税品などを扱う現地企業に務めながら楕円球を追ったころの実感だ。

今回のジャパン戦の数日後、あらためて解説してもらった。コロナ禍でフィジーより無念の帰国、現在は東京在住で駒場WMMに籍を置く人は言った。

「彼らとタッチフットボールをすると、よくわかります。だれもがトライをしようとする。『次』を考えない。瞬間にすべてをかける」

フィジーでは「タッチ」と縮めて呼ぶ。暗黙の全土共通ルールは以下のごとし。
「片手で1回タッチ、もしくはボールが地面に落ちると攻守は入れ替わる」。アタックとディフェンスがめまぐるしく行ったり来たりする。すると「すべての機会にチャレンジ、トライを決めにいくようになる」。

練習中に抜くのをあきらめて相手にぶつかったら、そこにいる全フィジー人が不満の表情を浮かべた。抗議の一言はこれ。「そんなことしたら肺が楽でなくなる」。簡単に次に備えることは、ほとんど悪なのだ。

日本国内のラグビーに視点を移そう。チーム総員がわれこそはと得点を狙う。へたをするとエゴとされかねない。しかし、ひとりのラグビー選手としてなら「わたしが常にトライをする」という心構えはあってよい。たとえばこんなふうに。

陣地中盤の対戦相手投入のスクラム。自分は背番号7である。左の肩を右プロップの尻に当て、押しながら想像する。

「もし、この状況で自分がトライをできるとしたら何が起きたときか」

こちらの両センターの鋭い出足に向こうの13番のキャッチが乱れる。9番のパスがバウンド、あわてた10番は拾い損ねる。8番の足元のボールが横に転がり、ふいに外へ。
 と、いうように、あらかじめ絵を描いておく。すると突発を必然へ変換できる。

古今東西、なぜだかよくトライをものにするフランカーやロックやフロントローは、こっそり、そういうことを考えている。秘訣なので同僚にも明かさない。2025年のシーズン、あなたもどうぞ。

おしまいに。野木大彰の挙げるフィジアンのもうひとつの特長とは。
「味方が抜かれたあとの戻りの反応のよさをいつも感じました。これも日本の選手のように抜かれたあとの次の動きとして戻るのでなく、抜かれる前と抜かれた瞬間とその後がつながっている。だからどのレベルでもものすごく速く、よく追いつく」

先のパシフィックネーションズカップ決勝。ジャパンの得意とするループをまじえたアタックをフィジーの防御はさして苦にしない、というか、気にしない。角度の深いパスをはさむ速攻にもスーッとついてくる。細かく施された仕掛けに「途切れぬ時間」ひとつで対峙しようとする。

前半は10-26の桜のジャージィは後半に17-7と追い上げた。きっかけがあった。後半12分19秒のワーナー・ディアンズ主将の猛タックル。201㎝の長身を低くさせて刺さり砕いた。「次」のない正面衝突が流れを変えた。システムでフィジーは止まらない。そんなリーダーのメッセージにも映った。そうした割り切りに日本流防御のヒントはある。  

もうひとつ、おしまいに。フィジーのパスはスピンをかけているのに浮いているようだ。どこか、ふんわりとしている。見つめるうちに「速いばかりが正解でない」という仮説が頭をよぎった。
 もちろん日本代表の伝統である「弾丸のごとき」軌道の効果は、1968年のニュージーランド遠征や2019年のワールドカップで証明済みだ。優劣ではなく、異なる方法としての「どこか、ふんわり」については引き続き調査研究を続けたい。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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