コラム「友情と尊敬」

第47回「ひとつきり」 藤島 大

以下、数年前に博多の酒場で当事者から聞いた話である。

いつか、その人物が、国体の「福岡代表」の監督の任に就いた。コーチには、高校・大学のラグビー部で同じ道を歩んだ同期生を頼んだ。ふたりは盟友といってよかった。

当人は、自身の勤務する企業チームの監督でもあった。福岡代表は、ほとんどが、そのチームのメンバーで構成されていた。ある日、監督は、自分の会社のチームの「居残りメンバー」のことが気になって、代表の集合期間中、わずかな時間をつくって練習へ足を運んだ。本人の言葉を借りると「ちょっと顔を出した」。ところが数十年の友であるコーチは怒った。猛然と異を唱えた。ひとつの代表チームの責任ある立場なのに、おのれの会社のグラウンドに、わずかであれ顔を出すなど「けじめがない」というのだ。

元監督は笑いながら地元のなまりで言った。

「あいつ、それで腹かいてからくさ、何年か口きいてくれんやったもんね」

いい話だなあ。

もちろん、ふと思い出したのは、ジャパンのジャン=ピエール・エリサルド監督の「兼業(兼務)」問題が報じられたからである。母国フランスのアビロン・バイヨンヌのスポーツ・マネージャーの職を得て、なのに日本代表監督をみずから辞すつもりもなさそうで、つまり信義と常識と良心を欠いている。そんな脱力を招くニュースだ。

ちなみにエリサルド監督の表記は、公式には間違いで、ヘッドコーチと呼ぶらしいが、そもそも、この呼称に、選んだ側の「責任のありかをあいまいとさせる」狙い、もしくは潜在意識が透けて見える。英語的に正確を期したいのなら「コーチ」だろう。フランス語に敬意を払うのであれば「セレクショヌール selectionneur」である。いずれにせよ「ヘッドコーチ」に意味は薄い。日本語の「監督」で何がまずいのだろう。

アマチュアでも「このチーム」だけに全身全霊を捧げる指導者がいる。たくさんいる。
実際、複数のチームを掛け持ちで教えるような「コーチ」は、いわゆる技術アドバイザーであって、本当の意味でのコーチではない。愛情の量には限りがある。あっちも、こっちも愛している。ウソだ。そういう場合には「あっち」か「こっち」のどちらかに対しての情熱は薄れている。それどころか、どちらも愛していない場合も少なくない。コーチにとっての「自分のチーム」とは絶対にひとつきりである。

東京都立国立高校ラグビー部監督の渡部洪氏は、教員ではなく、ライブハウスなどを経営する本業を持ちながら、1984年から砂埃の舞うグラウンドに立ち続けている。もちろん無報酬である。それどころか、さまざまなかたちで私財を投じてきた。この人の責任感と情熱が、どれほどの若者を大きく深く育ててきたことか。卒業後、各大学や地域のクラブ、会社、さまざまな場所に、チャンピオンシップの精神と自立という薫陶を受けた「ラグビーの細胞」は散っていく。同じような指導者は全国に他にもおられるだろう。そのことを想像すれば、プロフェッショナルとして一国の代表監督の任にありながら副業にいそしみ、将来の就職活動にもっぱら心動かす者の軽さはわかる。

エリサルドの進退は、この原稿の執筆時には不明だ。兼業・兼務の問題より以前、就任直後から、まともに日本のラグビーを見ずに、心と体をフランスに置きっぱなしという一点で代表監督に不適格だと個人的には考える。もし監督交代となると緊急事態であるが、11月に韓国を破ればワールドカップ出場はかなう。環境の大きく劣る韓国は心意気ひとつで立ち向かってくる。であればジャパンは心意気で負けさえしなければ乗り切れる。「このチーム」を愛せない指導者の存在は、むしろ不安材料となりかねない。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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