コラム「友情と尊敬」

第153回「『故意』に落ちた話」 藤島 大

押す。こらえる。押し返す。スクラムがあるからラグビーなのだ。そこが13人制のラグビーリーグとの違いなのだ。そう信じている。

2019年のワールドカップ日本大会のファイナルも南アフリカが、ことに前半、イングランドの8人の塊を粉砕して攻防の流れをつかんだ。記憶に新しいのは21年度の全国大学選手権制覇の帝京大学である。モンスター的なスクラメージャー、右プロップの細木康太郎主将の存在が、それぞれの対戦校のそれぞれの努力や工夫を吹き飛ばした。単純明快なのに滋味もある見事なスクラムだった。

現在の静岡ブルーレヴズ、トップリーグ時代のヤマハ発動機ジュビロは、限られた陣容で上位に躍進、日本選手権を制した。「ビッグ」とは呼べないクラブが、強大なスクラムを軸にビッグなクラブをよくやっつけた。そのノウハウや心構えの流れをくんだジャパンは静岡でアイルランドのパックをかち割った。

ヤマハの16本の脚にひとつの背中のスクラムの威力が教えたのは、強さの象徴である「押しまくり」が「弱者」の支えとなった事実だった。ここでの「弱者」とは弱虫ではまったくなく、前述のように「選手層および個人のそこまでの経歴の厚みの総体では追いかける側」という意味だ。

あらためて本稿筆者の立場は「スクラムがあってのラグビー」である。ゲーム再開の手段というだけでなくセットピースそのものの優劣をはっきり競う。そのことがラグビーに球技を超える奥行きをもたらす。細木康太郎、貴君は立派だった。

そのうえで以下の声にちょっと意表をつかれた。長くラグビー観戦を楽しみとする同年代の知人がこう疑問を述べたのだ。

「スクラムの反則を細かく取り締まり過ぎて、試合の中断が多く、いささか興ざめである」

ここまでは同感だ。問題は次の言葉である。

「スクラムを押されたら反則となるのがよくわからない。明らかに危険な組み方についてはペナルティーも当然だが、押されることは悪なのでしょうか。押されることで防御ラインは後退し、あるいは狙っていた球出しはできず、いずれにせよ、すでに不利益をこうむっている。押したほうとっくに有利だ。敵陣ゴール前ならスクラムトライをものにできる。そのことでスクラムはスクラムの存在意義を示している。いちいち反則にしなくてもよいのでは。少なくともフリーキックくらいにとどめてもらいたい」

匿名の酒場の友との会話や私信のやりとりを簡単に引くのはプロのライターとしてあまり美しくはない。自分の見解を堂々と述べるべきだ。でも、この意見は思いがけなかった。一理あるような、ないような。

ずるずる押されて抵抗を放棄したらラグビーではない。しかしスプリングボクス級の巨漢集団とがっちり組み合ったものの、どうしても重さの違いで半歩下がる。プロップの肩がやや上や横へ動く。ジリジリとまた後方へ。圧力にバインドも緩くなるが、なんとか8人の上体はくっついている。それなら7m、8mと進んだあたりで「ユーズ・イット」でもよいような気もする。

もちろん現行でも「反則なきまま押されるのは反則にあらず」だ。まあ、その加減の問題である。競技規則の「スクラムにおける危険なプレー」に記される「スクラムを故意に崩す」「故意に倒れる、または、膝をつく」。ここのところの「故意」の塩梅である。

意欲のあるレフェリーは学び、広く声を聞く。「フロントローがどれだけスクラムにかけているか」と教われば、やはり押すことを重く見る。押されれば姿勢は多少崩れるので笛を吹く。

リセット(組み直し)は、レフェリーの失態と上部組織に評価されるので、組む前に過剰なほど「合法」であることを求める。「これだけ注意しても組み直さなくてはならないのはやむなし」というアリバイになる。結果、プレーを説明の時間がさまたげる。

ラグビーは「厳密なルール」とは相性がよくない。計30人がコンタクトを繰り返しながら広いフィールドを走る。キックも用いる。セットプレーで競う。そこで発生する事象のすべてを「合法・非合法」で判定するのは無理だ。

スクラムでの互いの距離や重心のかけ方を完璧に計測はできない。森の奥で何が起きているのか。本当のところは現場の選手にしかわからない。どんなに一流の審判にもつかみきれぬ領域が残る。それもまた競技の深みだ。

競技規則の前後に「常識」がある。観客や視聴者の「ま、これくらはいいか」や「これはだめ」という感覚とそんなに乖離しないほうがよい。ひいきチームが押したり押されたりすれば目は曇る。ここは中立で観戦している根っからのラグビー好きの常識としておきたい。

なんて書いてきたが、レフェリーのみなさんは本日も誠実である。絶対に敬意の対象だ。そのひとりによると、たとえば大学の下部の試合では「強いプロップが力を見せつけるように強引に押したり持ち上げたりすることで危険を招く」例があるそうだ。つい「まっすぐ」を逸脱する。押し勝っているので本人にペナルティーの意識は薄い。押されるから危ないのでなく押せるので危ない場合もある。

さらに検証したわけではないと断りながら「人工芝やスパイクの質が昔より高まり、スクラムの理論も浸透したせいか、フロントローが劣勢でも後方の5人が下がらないことがよくある」。そうすると「はさまれたフロントローの安全のために」早く反則にしてしまう。こういう事情は記者席や実況解説席からはわからない。

結論。ルールの適用においてレフェリーがいっそうの安全対策を心がけながら、もう半歩だけ常識に寄る。常識とは、すなわちレフェリーその人の感覚である。組織の評価者の査定を気にするのでなく、自分自身の「厳密には非合法かもしれないが、トップ級の彼ら彼女らはどちらの側も気にしていない」や「このスコアでこの地域ならこのへんでユーズ・イットのほうがラグビーなのでは」に従う。そんなにうらまれないと思う。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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