コラム「友情と尊敬」

第117回「心が重なる」 藤島 大

心が重なる。よい心と心が。師走23日、東京・秩父宮ラグビー場に幾つかのよい光景がぶつかり、まじわり、肩を組んだ。トップリーグ昇格をめざす「トップチャレンジ2」。トップイーストの釜石シーウェイブスは、トップキュウシュウの中国電力と激突した。いずれもここでつまづけば「上へ」の夢はついえる。負けられぬ激突である。

34対24。釜石の勝利。忘れてはならぬ心は敗者にもあった。中国電力の厳しい攻守は試合を引き締め、勝者の安寧をしばしば奪った。ボール争奪局面の迫力、角度の効いたライン攻撃、なにより体に切れがあり、チームは活力に満ちていた。あの心のチーム、広島工業高校出身、帝京大学を経て入社の7番、松永浩平の「生命力」という単語を想起させる攻守は光を放った。大学時代は「大」の側のアクセントとして光を放ったが、この午後は「小」の側をしぶとく鋭く支えた。実力者だ。

記者会見。中国電力の神辺光春監督が言った。
「日本人だけでもできるということを証明しようと」
この人、かつては関東学院大学の機転の利くフランカー、巧みなプレースキッカーでもあった。現役時代の鋭利な表情は、歳月にふさわしく落ち着きを帯び、なお奥に意地の気配がうごめく。ラグビーの世界での「日本人」とは、この列島に生まれ育った者という意味だろう。すなわち海外出身の選手がチームにいない。

隣の庄島啓倫主将も心情を明かした。
「日本人で外国人を止めようと…」
素朴な口調がとことん体を張ったロックにふさわしかった。日本国籍取得者を含む「海外出身選手」は、釜石の先発のうち4人、リザーブにも3人、率直に大きな差である。中国電力の健闘に「ひたむき」の匂いがたちのぼったのは、そうでないと骨格、経験の差は埋まらなかったからだ。

釜石の左ロック、伊藤剛臣の試合後の記者団への第一声はこうだった。

「トップチャレンジ2、(初戦の)大阪府警、きょうの中国電力、非常に激しいチームでプレッシャーは強かったですよ」

43歳にして先発の位置をつかみ、80分、フル出場。取材者はそのことを聞くつもりだった。でも、本人は、まず対戦相手の心を称えた。心が心をすくいとった。本物のラグビーマンだ。

そこに東芝ブレイブルーパスの冨岡鉄平監督が通りかかる。現職の前、一昨シーズンまで中国電力を指揮した。その場で伊藤剛臣が声をかける。「監督、中国電力、ブレイクダウンが強かったです。さすが監督の指導したチームです」。そして、報道陣にこう続けた。「今回、釜石に東芝のグラウンドを開放してくれたんです。自分が監督をした中国電力と戦うのに。その上、酒まで差し入れしてくれました。飲んでくださいっ、と。高級酒、獺祭でした」。心が心と絡み合う。ラグビー場の小さな空間に「体を張った人間だけがわかり合う小さくて大きな世界」がたちまち形成された。ふと嫉妬を覚えるほどだ。

伊藤剛臣(原稿で『さん』をつけなくてよいのがうれしい=現役だから)に聞いてみた。素朴な質問ですが、43歳、フル出場、疲れませんか、試合中に。メイド・イン・ジャパンの傑作ナンバー8として桜のジャージィーをまとった男は、一拍おいて、一言。

「もう感謝ですよ」

感謝。近年、若いスポーツ選手がよく用いる言い回しだ。ちょっと乱発の気配もなくはない。そんな常套句がこれほどの迫真を帯びることはまれだろう。ウソのない響き。心の言葉だ。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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