コラム「友情と尊敬」

第159回「釜石を歩く」 藤島 大

3月5日。午前9時3分、三陸鉄道で釜石発。同9時15分、鵜住居着。東日本大震災の慰霊・追悼施設である「祈りのパーク」を訪ねる。12年前の3月11日の津波の高さが見上げる位置に示されている。

 犠牲者の碑に名を追うと「佐野正文」とあった。1976年度の日本選手権に新日鐵釜石の背番号7として出場、早稲田大学のひたむきなタックルをごつい腕で叩き落として満場の大スタジアムの悲鳴を呼んだ。堂々の日本一であった。秋田工業高校出身。野人のごとき長髪に重くて速いラン、あの頑丈な人のはずである。享年63。釜石ラグビー協会会長でもあった。

 リーグワンのディビジョン2。釜石シーウェイブスRFCー豊田自動織機シャトルズ愛知のキックオフは正午の予定である。空、青い。空気、澄んでいる。鎮魂の場に立つと、それがなんだか悔しい。

 シーウェイブスは注力してきたワイドな攻撃がしだいに練れてきて、タックルも最後まで激しさをなくさず、勝てる展開に持ち込めたのに、いくつかのエラー、わずかな判断の乱れで白星を快晴の空気に逃がした。38ー44。惜しかったとくくるには、あまりにも惜しかった。

 釜石シーウェイブスの試合の放送解説をすると、どうしてもおもに1980年代前半、全盛期の新日鐵釜石について触れてしまう。まぁ古い話だ。

 社会背景が変わり、競技ルールも変わり、「鉄は国家なり」のころからの巨大企業チームはクラブ組織へと変わった。あのころの釜石、あのころのラグビーとは違う。

 でも思う。釜石ラグビーのヒストリーは語り継がれるべきだ。シーウェイブスがより力をつけて優勝を重ねたらファンも、ノスタルジー好みの解説者も、年配の釜石市民すら意識を「新日鐵釜石のV7」から少しずつ離す。

 過去の偉業をいたずらに過小評価するのは愚かだ。しかし、さらなる強烈な出来事による自然な忘却は正しい。日本代表の2015年の対南アフリカ大勝利によって「1971年、3ー6のイングランド戦」がようやく倉庫にしまわれたように。 

 シーウェイブスを凝視、ふと新日鐵釜石が頭に浮かぶのは、よくないプレーのあとでなく、決まって、よい攻守の直後である。

 シャトルズ戦でも、武者大輔の痛覚知らずのタックルに高橋博行の猛烈な一撃が、河野良太の万事における低さに小笠原常雄や氏家靖男の「東北でいちばんしつこい虫」のような姿がよみがえった。いずれも大学ラグビーを経ずに入社、日本代表には届かぬも、それぞれの持ち場でありったけの力を常に発揮した。

 たとえば明朗で聡明なリーダーにして鋭敏果敢なCTB、森重隆、国内オールタイムベストの10番、松尾雄治、ともにジャパンの主将を担ったほどの逸材はそうは出現しない。ただし「黄金期の釜石が最も大切にしてきた価値」ならシーウェイブスの現在の全部員が実践できる。すなわち「ピンチにもチャンスにも浮き足立たず自分の務めをまっとうする」。その心構えの貫徹である。   

 試合後、ひとり釜石に残った。日曜の夜、深みのある酒場はたいがい休みか予約で埋まっている。どうしようか。そこへシーウェイブスの某選手発の情報が届いた。駅から徒歩20分ほどの食堂はいかが。

 その名も「お食事ハウスあゆとく」。日の落ちた道路の脇を歩く。左手に洋菓子店の灯りが見えた。ちょうど主人が外へ出てきたので「あゆとくは、このまま真っ直ぐですか?」と聞くと、満面のスマイルで「次の信号とその次の信号の真ん中あたり」。そして一言。「おいしいですよ」。この瞬間のときめきをわかっていただけるだろうか。

 カウンターの端にすわる。右隣の若者はスリランカ風カレーと別のプレートに盛られた鶏の唐揚げを交互には食べず、前者をたいらげてから後者に着手した。なんとなくいい。こちらは長考ののちに「ポークペッパーソテー(単品)」で敵陣侵入を図る。キリリとジョッキの冷えた生ビールのために「メンマ」も。さっきの洋菓子店主人は生まれてからウソをついたことがないと思った。

 厨房の主人の穏やかで、なおスキのない表情に使命感と知性はにじむ。海鮮ラーメン、ポークチャップソテー、ゴボウの唐揚げ、東西南北を網羅するようなメニュー構成に往時の国際貿易港、釜石のにぎわいも重なる。

 しだいに客が増える。できあがった料理を置くスペースに何皿かたまる。給仕担当は忙しい。すると白いコック服の主人が奥より出てきて、まったく苛立つ様子はなく淡々と卓まで運び、すぐに鍋の前へ戻る。自分の仕事に集中しながら利他的。まるで釜石のラグビーじゃないか。

 宿までの満腹の帰路。昔、腕力があるのに強引な攻めに頼らず、ごつごつした指で流れるパスをつないだ製鐵所の社員がいた。いま新しい時代を築こうともがくクラブのひとりひとりがこの夜空の下に暮らす。釜石=ラグビー。世の中、そんなに甘くはない。関心を抱く市民もそうでない住人もいる。それでも栄光の、いや、ときに蹉跌であっても、記憶はないよりあったほうがよい。シーウェイブスのひとつの完璧なリフティング、ひとつの美しいフッキングもまた歴史の先端なのである。

■ 筆者「藤島大」の略歴■
スポーツライター。1961年、東京生まれ。都立秋川高校、早稲田大学でラグビー部に所属。曼荼羅クラブでもプレー。ポジションはFB。都立国立高校、早稲田大学でコーチも務めた。スポーツニッポン新聞社を経て、92年に独立。第1回からラグビーのW杯をすべて取材。著書に『熱狂のアルカディア』(文藝春秋)、『人類のためだ。』(鉄筆)、『知と熱』『序列を超えて。』『ラグビーって、いいもんだね。』(鉄筆文庫)など。ラグビーマガジン。週刊現代などに連載。ラジオNIKKEIで毎月第一月曜に『藤島大の楕円球に見る夢』放送中。

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